2020年12月5日(土) 13:40~15:10
ミーティングルームB(ZOOMライブ配信)

オーガナイザー
板井孝壱郎(宮崎大学大学院医学獣医学総合研究科生命・医療倫理学分野)

  • エンドオブライフケアの中核概念としてのアドバンス・ケア・プランニング(ACP)―人生会議の今後を考える上で鍵となる人生の物語のピース―
      西川満則(国立長寿医療研究センター緩和ケア診療部/エンドオブライフケアチーム)
  • アドバンス・ケア・プランニング(ACP)時代のリビング・ウイル
      満岡聰(日本尊厳死協会理事)
  • 厚労省ガイドラインとACP(人生会議)の理念を考える
      浜渦辰二(上智大学グリーフケア研究所)

オーガナイザー報告

少子高齢化に伴う多死社会を迎え、エンディングノートや終活に人々の関心が高まってきた。厚労省は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂し、その実践のために「患者の意向を尊重した意思決定のための研修会」(E-FIELD)を開催してアドバンス・ケア・プランニング:ACP(人生会議)の普及を図っている。パンデミックとなった新型コロナウイルスをめぐる様々な「対策」を講じなくてはならない時代においては、ますますACPの重要性が高まってきている。しかし、ACPを実践する際には「強要されるプロセス」ではなく、本人を中心に置きながら、家族等や医療者、周囲の人々によって「共有されるプロセス」でなくてはならない。ACPは「押し付けられるもの」であってはならないし、反対に、ACPの機会が奪われるのであってもならない。どのような生活スタイルで、どのような療養生活を送るのかを、医療者・家族等と共に「共有しあい、創造しあう」という、より大きな「ALP(Advance Life Planning:事前の人生設計)」というプロセスの中で、無理なく推進されることが重要である。特にもし「『自然に』死ぬこと」が、あたかも誰にとっても「素晴らしい、絶対的な善」であるかのごとく社会全体が推奨しはじめた際には、それがまるで「無言の圧力」となってしまい、たしかに外形的には患者自身が「もう『延命治療』はしないでいいから」と「自己決定」したとしても、それを「自発的な」意思決定だと捉えることは決してできない。ACPとは「特別なこと」ではなく、「ごく当たり前の意思表示」なのであって、決して人生という物語を強引に「終わらせる」ようなものではない。「どのように死なせるか」ではなく、また「死なせないために」でもなく、どのように「生ききるか」を支えるために、すなわち、どのような人生という物語を紡ぎだすことができるかを共に考え、そのプロセスを共有すること=「協働意思決定 (SDM: Shared Decision Making、CDM:Collaborative Decision Making)」を実践することが大切であることを共有する目的で企画したシンポジウムであった。

当日の進行としては、ACPに造詣の深い西川満則先生に概念の解説を賜り、リビングウィルの普及啓発をリードしてきた日本尊厳死協会の満岡聰先生に、ACPとリビングウィルの今後の立ち位置を伺った後、浜渦辰二先生に臨床哲学・倫理学者の立場から人生の最終段階の在り方、その意思決定支援について俯瞰的に論じて頂いた。参加者とのディスカッションを通じて、Withコロナの時代だから「こそ」ACPが重要ではあるとしても、まるで「ベルトコンベヤー」のような「普及」だけはやはり警戒すべきであり、いまコロナで亡くなる方もいらっしゃる中ではかえってリアリティがありすぎて、事前にそんな話はしたくない、という声もあることを忘れてはいけないことを再確認した。やはり「死」というものを「見つめる」というのは、エネルギーの要ることであるからこそ、「生きる」ことの大切さ、「生ききる」ことができる社会のあり方を模索する中でこそ、「人生設計」としてのACPが、「どう『死ぬ』か、どこで『死ぬ』か」を半ば無理やり考え「させる」ような「特別なもの」ではなく、その人らしく「暮らし」、その人らしく「生ききる」ための、ごく当たり前の意思表示になっていくことを目指すべきであることを、参加者全員で共有できたシンポジウムであった。

板井孝壱郎(宮崎大学大学院医学獣医学総合研究科生命・医療倫理学分野)