オンデマンド配信

  • A01. アニメ『ミュウツーの逆襲』と反出生主義
      水島 淳(反出生主義研究会主催者)
  • A02. ワイマール共和制期ドイツにおける教会外宗教運動と優生思想・人種主義
      宮嶋 俊一(北海道大学大学院文学研究院)
  • A03. インテグリティ原則の三位一体構造について ―グローバル・バイオエシックスからの考察
      宮島 光志(富山大学学術研究部薬学・和漢系)
  • A04. 偶発的所見・二次的所見の返却における非医学的対処可能性の検討
      大橋 範子(大阪大学データビリティフロンティア機構)
  • A05. 放射線被ばくと生命倫理学 ―行動経済学の援用による問題点の解決法について―
      亀井 修(京都府立医科大学大学院医学研究科医学生命倫理学、日本文理大学)
      瀬戸山 晃一(京都府立医科大学大学院医学研究科医学生命倫理学)
  • A06. 高校「生物基礎」の教科書に脳死はどう登場したか
      白石 直樹(東京都立淵江高等学校)

演者報告

アニメ『ミュウツーの逆襲』と反出生主義
水島 淳(反出生主義研究会主催者)

本発表は同名の論文を元に加筆修正を加えたものである。ゆえに「反出生主義」という思想 が、アニメ映画『ミュウツーの逆襲』にも見られるという説の検証から考察を進めた上で、作品の持つ誕生肯定の思想を浮き彫りにすることを目指している。

そこで『ミュウツーの逆襲』を考察する理由としては3つのポイントを挙げた。①反出生主義が注目される以前の1998年時点で既に反出生主義につながるセリフをミュウツーに言わせていたこと、②『逆襲』公開時に10歳だった子どもが、2021年現在では33歳前後となっており、今日反出生主義に注目している人々に影響を与えている可能性があること、③『逆襲』は2019年にリメイクされており、今後の世代にも影響を与える可能性があることの3つである。

その後第1章では反出生主義の定義に関して森岡正博の提言を参考にし、「古代ギリシア的な、生まれてこないほうが良かったとの否定的生命観」と「21世紀の子産みは普遍的に悪いとする思想」の2つにフォーカスすることとした。そして第2章では『ミュウツーの逆襲』本編で反出生主義を感じさせるシーンは1シーンしかないことを明確にし、ミュウツー(の思想)は「何故造った」という恨み≒反出生主義であり、自分の仲間となるクローンを造っている≒出生主義でもあるアンビバレントな存在であるとした。ではなぜミュウツーは反出生主義に至らなかったのか? それは① 人類への「逆襲」という「目標」があったから、② 逆襲中止後も「仲間」を守るという「目的」があったからと述べた。目標・目的がなければ自分の誕生を呪う反出生主義者にミュウツーはなっていたかもしれない。

こうした考察を引き継ぎ第3章では、ミュウツーが欲していたのは、〈誰かより優れていなくても、あなたはそこにいていい〉という承認であったことを明らかにした。ミュウツーとは、幼い頃から承認欲求を満たされずに育った大人のメタファーなのである。「生まれてこなければよかった」という嘆きには、「ここにいていいのか」という承認欲求や疑問も含まれていると考えられる。「生まれてこなければよかった」、「ここにいていいのか」という嘆きに共感した反出生主義者は、そこに自分たちと同じものを感じても不思議ではない。
このミュウツーの嘆きのインパクトの強さが、ミュウツーを反出生主義者であると感じさせるゆえんでもあろう。

またミュウツーの「私は誰だ」という問いは歴史上たびたび登場しているものである。ミュウツーの「わたしはなんのために、生まれてきた」という問いやどんな風に生きていけばよいのかという苦悩は、多くの子どもたちが体験する「いのちの体験」とも類似している。
つまりミュウツーの問いの1つ1つを、我々もまた自分の問いとして考えている、もしくは考えたことがあり、それがミュウツーへの感情移入を加速させているのだ。

そして第4章ではミュウツーの「なぜここにいるのか」という問いに対する作中の答え「いるからいる」を分析した。「いるからいる」はミュウツーに自分を重ねた者たちが求めていた「自己承認」と考えられるかあらである。基本的自尊感情は、○○ができるから存在を認めてもらえるという状況では満たされない。ただ「いるからいる」と認めてもらわねばならない。「いるからいる」は「生まれてこなければよかった」をケアしうる可能性のあるものなのである。

加えて5章では「生まれてこなければよかった」は「死にたい」と似ているという視点から考察を行った。しかしこうした詠嘆は本当に、自分が存在しない状態を望んで口にされているわけではない場合がある。〈生まれてこなければよかったと思うくらい苦しい〉、〈死にたいほど苦しい〉という意味の可能性があるからだ。この嘆きに対して「いるからいる」による存在肯定、基本的自尊感情を育む共有体験はどれほど有効か、ここが今後の大きな課題である。この課題に立ち向かうべく、反出生主義者の基本的・社会的自尊感情の高さを計測してみた。その結果は概ね高いである。この結果を勘案すると「いるからいる」でケアできる反出生主義者は少ない可能性も検討しなければならない。ゆえに今後の課題は存在肯定以外のケアの可能性を探ることである。

インテグリティ原則の三位一体構造について ―グローバル・バイオエシックスからの考察
宮島 光志(富山大学学術研究部薬学・和漢系)

「インテグリティ原則の三位一体構造について―グローバル・バイオエシックスからの考察」は、第一義的には生命倫理の基本概念をめぐる(多分に理論的で)体系的な考察であった。その背景には、我が国で進行中の医療人教育の抜本的改革、および研究倫理教育の更なる拡充という社会的要請が控えている。そうした要請に何かしら応答したいと念じて、したがって極めて実践的な意図をもって、本考察は展開された。

国内では「薬剤師行動規範」(2018)と「看護職の倫理綱領」(2021)、国際的にはWMA「ジュネーブ宣言」(シカゴ改訂、2017)に見られるように、社会構造の急激な変化に応じて医療体制の見直しが図られ、それを承けて医療人の倫理綱領にも大小の修正が及んでいる。また国内では医学・歯学・薬学の6年制医療人教育に共通のプラットホームが構想され、従来の分野別コアカリを改訂して、新たな「統合コアカリ」の策定が進められている。4年制の看護教育も含めて「医療プロフェッショナリズム」教育の充実が喫緊の課題であり、チーム医療の推進と地域医療の拡充に向けて人間理解を深めること(人間性の涵養)が急務である。他方では大学教育全般において、デジタル情報化の急激な進展を背景として、単なるコンプライアンスを超えて、研究倫理の徹底ないし実質化が求められている。

そうした国内の現実的で複合的な課題を見据えながら、本考察は近年の「グローバル・バイオエシックス」を模索する国際的な研究動向に着目し、”integrity”概念の多様な含意に立論の手掛かりを求めた。すなわち、Henk ten Have (ed.), Encyclopedia of global bioethics(3 vols., Springer International, 2016)所収の”integrity, concept of”、”integrity, professional”および”integrity, research”を相互に参照に、それらの内的連関を構造化してみた。そして最終的に「人格の全一性(personal integrity)」「専門職の誠実さ(professional integrity )」および「研究公正(research integrity)」を、生命倫理学に固有の「インテグリティの三位一体構造」として捉え、その全体像を8回で講じるためのシラバス(腹案)を提示した。以上の発表に対して、会員から特に質問や意見は寄せられなかった。

偶発的所見・二次的所見の返却における非医学的対処可能性の検討
大橋 範子(大阪大学データビリティフロンティア機構)

ゲノム医科学は目覚ましく進展し、網羅的なゲノム・遺伝子解析が普及しつつあるが、一方で、網羅的解析により、研究や医療の「本来の目的」を超えて判明する「偶発的所見(IF)」・「二次的所見(SF)」(以下、IF・SF)の取り扱いが新たな課題となっている。

IF・SFの返却をめぐって、従来、その判断基準として検討されてきたのは「医学的対処可能性(clinical actionability)」であった。

しかし、本人が解析結果の返却を望む理由は、「予め発症可能性を知ることで、医学的に対処する(発症の予防や、早期の発見・治療に努める)」ことだけにあるとは言い切れない。例えば、ハンチントン病のように有効な予防法・治療法がない疾患であっても、発症前診断を受ける者がいるのは、彼らにとって、診断の結果が、自らの人生を設計する上で欠かせないものであるからだろう。

したがって、結果返却に際しては、医学的対処可能性だけでなく、「人生を設計する上で役立つ」「第三者に危険が及ぶのを回避できる(※)」といった非医学的な観点からの対処可能性も検討する必要がある。

ただ、医学的対処可能性が客観的な評価になじみやすいのに対し、人生設計上の対処可能性ではそれが難しい。評価の指標が、各人の価値観や家庭の事情のような主観的・個別的なものによらざるをえないからだ。また、第三者への危険回避という観点から何らかの措置をとることは、第三者の安全を脅かす「可能性」だけで、未発症の個人の権利・自由を制約することになり、あまりにも問題が多い。

とはいえ、網羅的解析がさらに広まり、知見の集積、精度の向上が進めば、IF・SFの返却も一般的なものとなり、こうした非医学的対処可能性の問題にも踏み込まざるをえなくなると思われる。

本発表では、まだあまり論じられることのない非医学的な対処可能性を取り上げ、その様々な論点を紹介し、それについての調査・検討の結果を報告した。

※例えば、一見健康な者に予兆なく突然死や失神を引き起こす遺伝性疾患の場合、その者が公共大量輸送機関の運転手であれば第三者にも危険が及ぶ可能性がある。こうした疾患を予め遺伝子診断で把握し、就業に際して何らかの措置を取ることができれば、それは対処可能性ということができる。