坂本百大

創立期(1988-1990)運営委員長
第3期(1996-1998)代表理事・会長
故人

日本生命倫理学会は、今、重大な転機、危機を迎えている

日本生命倫理学会は1988年に創立、発会した。それ以来今、ほぼ10年の活動の歴史を経ている。このとき、生命倫理学会は、重大な転機、危機を迎えているように思われる。振り返ってみれば、この十年は生命倫理学会にとっては輸入と模索の時代であった。「生命倫理」という語の定義もままならないまま、とくに、米国におけるこの語の爆発的流行と新科学技術の圧力を前にした医療現場の困惑を背景に生硬な翻訳語に過ぎない「生命倫理」という語は恰も救世主の如く日本の各界に広まった。そしてその最中に日本生命倫理学会が創立された。私自身は生命倫理とはこの語の創案者V. R. Potter の意を汲んで、1960年代の科学技術革新(イノベーション)の時代に起こった「テクノロジー・アセスメント」すなわち、近代科学に対する将来に向けての地球と人類の将来を憂える批判と再評価の運動の一環であったと考えている。しかし、私はこれを当時のあらゆる学問が関与すべき学際的課題であると考え、世界でも稀な学際的学会としての日本生命倫理学会の設立を提案したのであった。この時期、「生命倫理」の運動を主導した基本理念は圧倒的に「ヒューマニズム」と、その一つの果実としての「基本的人権」の思想であった。医学に限って云うならば、医学によって人を救い、人類を幸福にするという倫理理念から、むしろ逆に、医学が犯す侵襲から人権を守るという倫理理念への移行である。これは一般に、パターナリズムからオートノミーへという近代思想革命の一般的形態と符合する。学会においても「基本的人権」の問題が中心課題の一つとしてしばしば論じられているのはこの意味で妥当なことである。

だがしかし、21世紀を直前にして今、あまりにも明快とみられたこの傾向に対して、ひそかに停留していた暗雲がにわかに、しかも国際的に、また、地球規模において拡がりはじめていることにわれわれは気づかねばならない。それは「環境問題」に他ならない。われわれがこの時期に険しい環境危機を的確に予見できたことは不幸中の幸いであった。しかし、何故に環境危機は起きたのか。それは科学技術の巨大化の故であると指弾することは容易である。しかし、実はその科学技術を発展させ巨大化させたのは近代精神としてのヒューマニズムの本質的特性、D. チラスの言葉に従えば、フロンティアー・メンタリティーであり、そしてさらに、そのヒューマニズムの思想的果実としての「人権」の無制限の主張ではなかったか。 人権の本質は「自由」である。今、環境危機を前にして、われわれは近代への反省としてわれわれの「自由」を、したがって、過去の「人権」の主張を抑制する方法への哲学的、思想的論拠を求めるべき時点に立たされているのではないだろうか。私が、「生命倫理」の危機というのはこの事実のことである。ここで「生命倫理」は「環境倫理」と云われているものと合体しなければならない。いや、むしろ実は、生命倫理(バイオエシックス)という語がはじめてこの世に現れたとき(1970年頃)、それは環境問題そのものであったということを思い起こしたい。(V. R. ポッター著「バイオエシックス-将来への架け橋」1971.参照)

また、同時に、科学、特に生命科学の最新の展開が、この傾向を加速する。最近のクローニングの成功は、「人権」、「尊厳」等の概念を錯綜させ、そして最後には無意味化させかねない。ここでこの危機を救うためにいかなる代替思想があり得るだろうか。例えば、東洋には我欲(人権?)を棄てて帰属集団の和をはかるというタイプの共同体的倫理思想(コミューニタリヤニズム)が伝統的に根強い。これは悪しき封建思想であるかもしれない。しかし、現実に東洋、とくに、アジアが今、生命倫理に進出し、欧米的生命倫理の理念を突き崩しつつあるのも事実である。例えば、中国は「孔孟思想に基づく生命倫理」を開発しようとしている。孔孟思想は元来、西欧的ヒューマニズムとは異質である。

このような状況の中で、われわれは生命倫理の新しい道をいかに開くべきであろうか。ここで今、欧米倫理がアジア倫理に対して教師として振る舞うことは出来ない。欧米の生命倫理学者もそのことに気づいている。過去の欧米思想の排他的、独善的自負に対するきびしい反省を伴って。ここで日本の位置は思想的に微妙ながら有利でもある。東西思想を生かしつつ融合させ、この生命倫理の本質的危機に対処しうる最適な地理的かつ精神的位置を占めているからである。今、地球環境において生命全体に対する新しい生命倫理Global Bioethics を模索するべき時が訪れようとしている。本学会の学会活動を通じてこのような新しい生命倫理を支える思想が創造されることを期待して、ホームページ開始の言葉としたい。

(日本生命倫理学会ホームページ開設のご挨拶に代えて)

星野一正

第1期(1991-1992)代表理事・会長
第2期(1993-1995)代表理事・会長
故人

中谷瑾子

第4期(1999-2001)代表理事・会長
故人
科学・技術の負の面を制御し人類の健やかな発展のために、学会の果たすべき役割は益々大きくなる

1900年代最後の年の瀬を迎え、会員の皆様には益々ご清祥にお過ごしのこととお慶び申し上げます。さて、この度の役員選挙により、私が第4期代表理事・会長に選出され、今後3年間の任期を務めることになりましたので、ご挨拶申し上げます。1988年11月に創立された日本生命倫理学会は、坂本百大 学会創立時運営委員長・第3期代表理事および 星野一正 第1・2期代表理事のもとに大きく発展し、現在では会員数が千名を越えるまでになりました。また、当学会での活動を拠り所に成長なさった若い研究者も輩出し始めました。

この間の科学の進歩は目覚ましく、多くの新技術が開発されましたが、他方ではその負の面も明らかになってまいりました。これらの負の面を制御し、来るべき新世紀での人類の健やかな発展のために、当学会の果たすべき役割は今後益々大きくなるものと思われます。

ついては、環境倫理・生命倫理・情報倫理について、会員の皆様の研究が一層盛んになるよう環境を整えるべく、微力ながら代表理事として努力して参りたいと存じます。

今後3年間の皆様の積極的なご参加とご支援を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

日本生命倫理学会代表理事就任のご挨拶
日本生命倫理学会会報No.1 (1999年12月25日発行)

青木清

第5期(2002-2004)代表理事・会長
故人
ヒトゲノム研究、ヒト胚性幹細胞研究など、生命科学の発展は可能性を予感させ、他方で懸念を抱かせる

2002年が暮れようとしている昨今ですが、会員の皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、すでに2002年11月の広島市での大会でもご挨拶申し上げましたように、10月の新理事による理事会の役員選挙で私が第5期代表理事・会長に選出されました。今後3年間の任期を務めることになりますので、何卒よろしく御協力のほどお願いします。

本学会は1988年11月に設立されて以来、15年経過しましたが、その間、坂本百大、星野一正、中谷瑾子代表理事・会長の努力によって、発展の一途をたどってきました。会員数も先の広島大会で報告されましたように、1275名に増加しています。また、学術面でも生命倫理学プロパーとして若い優秀な研究者が輩出し、各方面で活躍されていることは大変喜ばしいことです。

21世紀に入り、ヒトゲノム研究、クローン個体作製、あるいはヒト胚性幹細胞研究など、国内外で大きな発展がみられます。

これらの生命科学をはじめとする先端的科学技術の進歩に社会は期待するとともに、他方なんらかの懸念を抱いているのも事実です。このような社会的な要請にあわせて、科学技術、特に生命科学や医療医学の発展が社会とうまく調和するために生命倫理や環境倫理の学術的な発展が期待されています。本学会の果たすべき役割は今後益々大きくなると思われます。

このような次第で、会員の皆様の一人一人の学術的、実践的研究の進展が要求されています。私としては、各理事と協議しながら、本学会が学術的な面で、さらに一層の飛躍を遂げられるように、会員のための環境整備や若手研究者育成を計っていく所存ですので、何卒よろしく御協力のほどお願い申し上げます。

(日本生命倫理学会代表理事就任のご挨拶)

藤井正雄

写真第6期(2005-2007)代表理事・会長
故人
生命倫理に普遍的な原理は存在するものではなく、それを受容する文化・社会の影響を受けて変化する

21世紀の幕開けは「生命倫理」の時代を告げるものになっています。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は「生命倫理と人権に関する一般宣言」が2005年10月10日に総会で採択され、引き続いて12月15日から3日間「第12回ユネスコ国際生命倫理委員会」(IBC)が上智大学を会場にして日本で開催されました。国際生命倫理委員会は、既に1997年11月11日に採択された「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」、2003年10月16日の「ヒト遺伝子情報に関する国際宣言」に続く第3弾です。2005年の宣言は前文と28条からなり、患者のインフォームドコンセントに基づく医療、倫理委員会の設置、バイオテロの防止、生命倫理教育の促進などを謳っています。

医療技術の進歩は目覚ましく、その研究成果は国内で規制してもたちまちのうちに国境を越して世界中に広がっていく一方、さまざまな問題を齎しました。例えば生殖・移植・再生医療の問題から生命はいつ始まりいつ終わるのか、生命とはなにか、生命の人工操作はどこまで可能か、の問題が提起されています。その解決は容易ではありません。生命倫理に普遍的な原理は存在するものではなく、それを受容する文化・社会の影響を受けて変化します。したがってますます多様化する生命倫理の問題は、単に医学・医療の問題に止まらず、哲学・倫理学、法学、宗教・社会科学の総合的な面から学際的に文化的な脈絡の下に研究されなければなりません。

本学会は1988年11月に設立されてから18年を超え発展の一途をたどり、会員も1300人を超えました。

さて、2005年10月の新理事による役員選挙で第6期代表理事・会長に選出されました。向こう3年間の任期を、星野一正・坂本百代・中谷瑾子・青木清の歴代会長のご指導の下に会員皆さんが築き上げてきました路線を維持すると共に、会員諸氏のために生命倫理の情報基地としてさらなる発展をしますように努めて参りますので、何卒宜しくご協力のほど願い申し上げます。

(日本生命倫理学会代表理事就任のご挨拶)

木村利人

第7期(2008-2010)代表理事・会長
日本におけるバイオエシックスの更なる飛躍を目指して―未来へのCollaboration・Courage・Challengeを―

生命倫理、すなわちバイオエシックスは、人間の尊厳と人権に基盤をおいて、自然・社会環境のなかでの様々ないのちに関する価値判断をめぐっての公共政策を方向づけ、新しい未来を創造するための超学際的なCollaborationの学問であり、またグローバルないのちを守り育てるための社会実践活動・人権運動でもあると思っています。

第20回年次大会からの出発

日本生命倫理学会は、創立20周年の記念すべき年に九州大学医学部百年講堂において第20回・年次学術大会を開催しました。その大会のテーマは「医学・医療と生命倫理」とされ、極めて多彩な充実した内容の大会がもてましたことを、笹栗俊之大会長はじめ、実行委員会委員、大会参加の会員の皆様に心から御礼申し上げます。

20年前に発足した比較的新しい学術団体としての本学会が、それぞれ、医学・看護、法学、倫理・宗教、政策学・マスメディア等の学問的・実践的専門領域のカテゴリーを超えた超学際的な研究者により、会員数1263名(2009/01/24現在)からなる学会に成長するようになったことにつきましては、創立以降現在に至る会員の諸先生方、歴代の会長、各委員会委員長及び事務局の皆様、関係大学など諸機関によりますCollaborationに心から感謝申し上げたいと思います。

私の第6代目の代表理事・会長としての任務は、昨年11月下旬の九大での年次大会の折りに開催された総会から3年の任期をもって開始されました。これからの3年間を何とぞよろしくお願い申し上げます。

日本におけるバイオエシックスの点・線・面

私の考えでは、生命倫理、すなわちバイオエシックスは、人間の尊厳と人権に基盤をおいて、自然・社会環境のなかでの様々ないのちに関する価値判断をめぐっての公共政策を方向づけ、新しい未来を創造するための超学際的なCollaborationの学問であり、またグローバルないのちを守り育てるための社会実践活動・人権運動でもあると思っています。

このようなバイオエシックスの発想の原点に焦点を合わせつつ、1980年代になって、日本のバイオエシックス研究と教育の「拠点」が各地に作られ始めました。各地のこれらの「点」を結ぶ人と人とのつながりが「線」となり、そして、20年前の学会創設は、その展開は日本を覆う「面」となったのです。そして、それが更に大きな国際的共同バイオエシックス・プロジェクトや国際学会の開催、関連文献図書や生命倫理百科事典の翻訳などへと広がっていったのは、学会員一同にとって大きな喜びであったと思います。言うまでもなく、本学会誌「生命倫理」やニュースレターなどの編集・刊行がバイオエシックスの学問と教育に果たした役割は極めて大きいものがありました。

その間、バイオエシックスの理論的・実践的な活動が、本学会の会員はじめ、多くの方々の協働作業(Collaboration)により形成され、たとえばインフォームドコンセントの実践、病院における患者の権利章典の策定と普及など臨床医療の現場での大きな変革が起こされました。更に、らい予防法の廃止、母体保護法、臓器移植法の成立などの立法、エイズや肝炎についての訴訟など司法や政策のフロンティアでの数々のバイオエシックス的発想による活動と不正の構造への挑戦(Challenge)による社会的蓄積がなされてきたことは、大きなバイオエシックス運動の展開と成果であり、それらに深くかかわられた当事者の方々に心からなる敬意を表し、また深く感謝を申し上げたく思っております。

『九大生体解剖事件』の歴史的証言に学ぶ

「点」から「線」へ、そして「面」へとバイオエシックスはダイナミックな広がりへの展開を続けるとともに、ある意味でその研究の内なる「深み」への展開も見られました。すなわち、日本におけるバイオエシックス研究の一つの「原点」ともなるべき問題提起が、昨年の九大での年次大会で開催された特別講演でした。「いわゆる『九大生体解剖事件』の真相と歴史的教訓」のタイトルで講演された東野利夫医師(1926年生まれ)の講演は、この20年間での本学会年次大会での最も重要な講演の一つとして、長く記憶されることになるバイオエシックス的課題を提起したのだと思います。私自身も、かつて「バイオエシックス百科事典」の「現代日本の医療倫理」の項でこのことについて論述したことがありましたので大変に印象深く、この現場に立ち会った東野先生の歴史的証言をお伺いし、その国際的視座からの現代的課題について改めて深く教えられました。

世界のバイオエシックスをリードする―三つのC

さて、私たちは、今、日本のバイオエシックスが大きな岐路に立っていることをひしひしと感じています。特に、学会設立後20年を経て、更に大きな勇気(Courage)を持って学問的・実践的に飛躍すべき時を迎えています。

昨、2008年9月上旬には、クロアチアのリエカで第9回国際バイオエシックス世界会議が開催され、私は比較Advance Directivesのセッションにパネラーの一人として招かれ日本の状況について報告し、討論に参加できました。この国際会議には、世界の約70ケ国からほぼ1000人の研究者が集い「21世紀における異文化間バイオエシックスの挑戦」を共通テーマに全体討議や研究部会での報告がなされ、1960年代からのグローバルな人権運動を背景に形成されてきたバイオエシックスの新しい展開とその動向を見ることができました。

バイオエシックスのルーツともいえる欧米のプロテスタント倫理やカトリックの道徳神学を基盤にした理論の展開に加えて、様々な文化と伝統の中での医療・宗教・倫理に光をあてた多元的文化バイオエシックスへの大きな流れとその新しい動態が注目されます。

最後に、日本におけるグローバルなバイオエシックスの更なる飛躍を目指すために、私が第20回年次大会の総会挨拶で述べた、未来をつくりだすための三つのCで始まることばを、重ねて指摘しておきたいと思います。

それらは、すなわち、超学際的な「協働作業(Collaboration)」、新たな学問的・実践的飛躍への「勇気(Courage)」、そして、不正の構造の変革への「挑戦(Challenge)」です。これらを実践しつつ、ともに未来を目指し、世界をリードするバイオエシックスの学問・教育・運動を形成して行こうではありませんか。

(日本生命倫理学会代表理事就任のご挨拶)

大林雅之

第8期(2011-2013)代表理事・会長
「超学際的」分野としての生命倫理学―「生命」に関わる諸問題を、災害、看護、介護、医療経済、科学技術政策、メディア、女性学などの多様な視点からも検討する必要

本年 (2011年)度の年次大会において、代表理事の職を木村利人前代表理事より引き継ぎましたので、ここに、ご挨拶をさせていただきます。

まず、3月11日におきました東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所の事故によって、亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りしますとともに、さまざまな被害を受けておられる方々に心よりお見舞い申し上げます。

連日報道されている大震災や原発事故の事態は、国などの対応の問題を考えさせられるのみならず、我々自身にも多くの問いが投げかけられています。大震災と原発事故をめぐる問題は、いのちの意味、生と死の在り方を問うてきた生命倫理学にとっては言うまでもなく、深く関心を持たずにはいられないものとなっています。

生命倫理学は、米国において、バイオエシックスとして生まれたルーツを持っています。その誕生の時代である1960年代は、米国の社会が、ベトナム戦争、人権運動、価値の多様化などに揺れる時代でした。そこでは、生命科学・医学研究の在り方、その成果である先端医療技術の受容、われわれにとっての生き方、死に方が、従来の学問分野の枠を超えて議論されることになりました。その意味においては、生命倫理学は、学問そのものの在り方をも問う、「超学際的」分野として進展しています。

本学会は、上記のようなバイオエシックスの成立のルーツとその発展の経緯を受け、さまざまな学問分野の研究者が結集し、1988年11月に設立されました。日本においては、1970年代より、バイオエシックスが紹介され、「生命倫理(学)」の訳語も生まれ、新聞やテレビ等にも使用される言葉になりましたが、その議論によって強調されてきた、「患者中心の医療」、「患者の権利」、「倫理委員会」などの理念が社会的に浸透してきたかは慎重に見ていかなければならないと思います。

その意味においても、生命科学・医学研究の在り方、その成果である先端医療技術の社会的受容の問題のみならず、「生命」に関わる諸問題を、災害、看護、介護、医療経済、科学技術政策、メディア、女性学などの多様な視点からも検討されなければならない必要性があります。本学会では、その特徴である学際性を十分生かして、日本とそして世界における、今日的問題を解決していくために、学会員相互の情報交換、学び合いの場としても十分に役割を果たしていくことを目指したいと思います。

現在、本学会は、世代交代、学会の日常活動の活性化、会員相互の研究交流などに向けた改革を目標にしています。新しい学問であると同時に、我々にとっての「いのち」という切実な問題を考えていくという課題に向けて、会員の皆様のご協力を得て、本学会の運営に当たりたいと考えています。

最後になりましたが、会員の皆様からのご意見、アイデアをどしどし、お寄せいただくことをお願いいたします。

(会長就任のご挨拶)

甲斐克則

第9期(2014-2016)代表理事・会長
人類が直面する生命の諸問題に取り組むには、規制根拠は何か、いかなるルールが適切か、配慮すべき倫理的事項は何か、「人間の尊厳」を根底に据えてじっくり検討しなければならない

新年明けましておめでとうございます。この度、第9期、8人目の日本生命倫理学会代表理事・会長に就任しましたので、一言ご挨拶申し上げます。

日本生命倫理学会は、生命に関する倫理に関心を有する様々な学問分野の研究者や実務家が結集して1988年11月に設立されました。以後、年次大会を中心に活動を続け、第23回年次大会を終えたところです。私自身、設立当初の第1回からほぼ毎回、年次大会に参加してきましたが、本学会も相当に深化し、発展していることを実感しています。最初の10年間は、カオスの中から「生命倫理・バイオエシックスとは何か」を模索しつつ、学会運営もやや戸惑いながら進められていましたが、次の20年間は、生命倫理・バイオエシックスについてのアイデンティティが一定程度見通せるまでに成長し、学会運営も、討論時間を確保すべくシンポジウムやワークショップのあり方にルールを設けるようになり、学会誌の内容もかなり質的に向上しました。そして、最近3年間では、中心的なすべての部分において基本的ルールが確立し、各セッションの報告・討論を拝聴しても、まさに日本生命倫理学会が充実しつつあることを実感することができます。これも、ひとえに、歴代代表理事、各理事、各評議員のご尽力の賜物であると思い、感謝の念に耐えません。そして何よりも、会員各位の生命倫理への熱い関心と探究心の成果にほかなりません。

現在、本学会の会員は1,200人を超え、生命倫理学、医学、看護学、生命科学、法学、哲学、倫理学、宗教学、心理学、社会学、文化人類学、政策学、科学史、女性学、マスメディア等、様々な学問分野の研究者が本学会に集い、人類が直面する生命に関わる諸問題に取り組んでいます。このような大きな広がり、多様性こそ、生命倫理学・バイオエシックスの特徴といえましょう。

私たちの前に立ちはだかる諸問題は、安楽死、尊厳死、医師による自殺幇助といった終末期医療をめぐる問題、臓器移植、代理懐胎等の生殖医療、再生医療といった人体の利用をめぐる問題、医療事故、薬害といった医療安全をめぐる問題、遺伝子診断、遺伝子治療といった遺伝情報に関わる問題、ロボティクスをめぐる問題、さらには環境、平和をめぐる問題等、多様かつ難解な姿で解決を迫っています。これらの問題に対応するには、規制根拠は何か、いかなるルールが適切か、配慮すべき倫理的事項は何か等を、「人間の尊厳」を根底に据えてじっくり検討しなければなりませんが、まさに多様な視点から取り組まないと解決の方向性は見えてこないと思われます。

今後、さらなる活性化を目指していきたいと思いますが、第1に、若手研究者の育成、第2に、各地の研究会や関連学会との日常的連携、第3に、国際学会との連携(特に海外への発信)、以上の3つを大きな柱として推進していく所存です。もちろん、従来の年次大会におけるシンポジウム、ワークショップ、および個別報告の充実化も図っていく必要があります。会員の皆様方が積極的に本学会の活性化に共鳴して、大いに活躍してくださることを祈念しております。

(会長就任のご挨拶)

赤林朗

第10期(2017-2020)代表理事・会長

この度代表理事を拝命いたしました。私は1988年の第一回大会で発表し、以後30年間、一貫して本学会の発展に微力ながら尽くして参りました。理事としても20年ほど勤めさせていただいたかと存じますが、いよいよ代表理事となり、責任の重大さを感じております。30年見てきておりますと、学会の長所、短所全てが把握できます。また、1988年から30年の間に、日本の生命倫理をとりまく状況は、大きく変化しました。その意味でも今、そしてこれからの本学会の果たすべき役割を再度深く考える時期に来ていると思います。

私としては、3つのIを大切にしていきたいと思います。

一番目は、Interdisciplinary approachです。本学会は4つの分野からの会員から成立しておりますが、これだけ学際性を持った学会は他に無いと思われます。従前は、法律の立場から、宗教の立場から、医学の立場から、等と言い放しで終わっていた感がありました。しかし真の学際性とは、互いの立場を十分理解したうえで、自分の意見を述べ、そして双方が合意できる解を見出す対話をすることだと思います。もちろん解がみつからない場合もあります。しかし昨今の情勢は、ゲノム編集ひとつとっても、なんらかの見解が求められる時代です。私は、この真の学際性を達成するために守るルールは一つだけだと思います。それは、各々の背景が異なっても「お互いに理解できる言葉を用い議論する」ことにつきると思います。そのルールをまもってさえいれば、繰り返しの対話の中から、なにか新しいものが生まれてくるのではないかと思います。本学会が、そのような対話の場、新たな知が生み出されるような場になるよう期待します。

2番目は、Integrityです。研究公正の文脈で用いられるときは、正直、誠実等の意味ですが、もう一つの意味があります。それは、完全な状態、全体性、さらには、自分の主義主張を持つ、という意味です。Product integrity といえば品質管理であり、preserve the integrity of the countryといえば、国土を完全に保持する、になります。日本の生命倫理政策等をみてきますと、とにかく自分たちでいつまでも決められない、議題設定ができていないのです。例えば終末期の延命治療中止のガイドライン等、様々な所で長い間議論されていますが、いまだに決まりません。私の申しあげたいことは、「自分たち(日本)のことは、自分たちで考え、解を出し、完結させなければいけない」、ということです。それができない国は、哲学がないのです。日本は、生命倫理の諸問題について、いつまでも外国に頼らず、自ら考え、自らの文化・多様性を尊重しながら、国際社会において認められる解を見出していかなければならないと思います。

最後は、Internationalizationです。恐らく多くの説明は必要ないかと思いますが、生命倫理の諸問題は、国境を越えます。日本だけの視点で考えていては、成り立たない時代です。生命倫理はこの30年の間、大きくグローバル化しました。日本も、グローバル化の中で、役割をはたさなければなりません。私は、現在国際生命倫理学会(IAB)の理事をしておりますが、残念ながら日本からの参加・発信はほぼ皆無です。私は、本学会と、世界の学会とリンクをつくることにより、人材交流を更に発展させたいと思います。今後は、日本からの世界への発信、国際社会、Global Bioethicsにおける貢献を、学会として考えていくことが必要であると考えます。

これら3つのIを大切にしながら、先ずは、本学会のアップデートを推し進めたいと思います。事務局機能、理事会をはじめとする会議等、効率化、迅速化します。WEB会議システム等を導入し、またホームページも抜本的に改訂し、英文ホームページも作成したいと思います。ニュースレターや事務局だより等、従来郵送費をかけてお送りしていたものは、全て、ホームページで見ていただくようにしたいと思います。これらの効率化により、予算を、若手研究奨励、部会活動、国際交流等に回し、学会の活性化を図りたいと思います。

今年の大会は、12月に京都で、学会設立30周年記念大会となります。一つの節目であると思います。30周年記念の企画も準備されようとしています。どうぞ会員の皆様、本学会の発展のために、私も含めまして執行部一同鋭意努力する所存ですので、引きつづき、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

(会長就任のご挨拶)