- 日時:2019年12月8日(日)10:40~12:20
- 会場:東北大学川内キャンパス 文科系総合総合講義棟・法学部第1講義室
- オーガナイザー:
直江清隆(東北大学) - 自律に代わる理論枠組みの構築を目指して
-出生前スクリーニング正当化論における自律概念への批判的考察を通じて-
圓増文(東北大学) - 遺伝子診療における自己決定プロセス
吉田雅幸(東京医科歯科大学) - 被験者あるいは研究協力者の自己決定
高野忠夫(東北大学病院) - 医療行動経済学からの意思決定とその支援の方法
平井啓(大阪大学)
座長報告
このシンポジウムでは、大会テーマである「医療の変貌と常識の再検討」の一環として、「自己決定の尊重」という常識の再検討を行った。自己決定という概念の問題性についてはかねてより様々な指摘がなされてきたが、このシンポジウムでは、医療や医療をめぐる社会構造の変化のなかでの自己決定について報告と議論がなされた
圓増文氏(東北大)は、欧州を中心に展開されている出生前検査をスクリーニング検査として妊婦に提供する公的制度を取りあげ、それが中絶に関する女性やカップルの決定の機会を平等に与えることを目的としていることの是非について論じた。公的制度をはじめ、第三者の積極的な介入によって自律を促進することが正当化されるかを検討し、圓増氏は自律に代わる枠組みとして不完全義務を含む義務概念に依拠した代替枠組みを示唆した。自己決定の限界を見る議論に対し、吉田雅幸氏(東京医科歯科大)は、ゲノム医療の通常診療分野への展開が進むなかでの遺伝学的検査を取りあげ、自己決定の支援のあり方を論じた。遺伝情報については、将来の予示性や家族との情報の共有性などの特性が指摘されてきたが、氏は二次的所見としてある遺伝性疾患が見つかった場合の取扱いをもとに、こうした遺伝情報の特殊性に基づいて患者・クライアントの自己決定を支援するプロセスとそのための医療従事者側の継続的研鑽の必要性を主張した。
これに続いて平井啓氏(大阪大)は、医療従事者と患者の双方を合理的な存在とみなす自己決定の概念そのものに疑念を投げかけた。氏は、医療場面におけるコミュニケーションの「すれ違い」を取りあげ、医療での意思決定におけるバイアスの所在や限定合理性の考えを示した。その上で氏は、医療者が明確な方向性を示し、選択肢を調整しながらも患者が意思決定するというリパタリアン・バターナリズムがより負担の少ない意思決定を可能にし、より望ましい医療コミュニケーションの方法を考えることができると主張した。最後に髙野忠夫氏(東北大)は、臨床研究における自己決定概念の揺らぎについて報告した。氏は患者申出療養制度において、臨床研究の枠組みの中で使用する場合には険外併用療養費制度の適用になるため、従来の医師主導のとは違った臨床研究が登場してきていることを挙げ、ここから患者・市民が研究計画の「研究参加者」となる患者・市民参画(PPI)の動向を紹介した。他方、認知症時代におけるインフォームド・コンセントの困難さ等を挙げ、研究協力者の自己決定に対して医師がいかに関わるべきかあらためて問いを提起した。
本シンポジウムでは自己決定の支援や患者の参加などが話題となったが、フロアからもリパタリアン・バターナリズムなどについて多くの質疑が交わされた。医療が変貌を続けるなかで自己決定が今後とも問い直されることを期待したい。