論文「心肺蘇生時の家族の立ち会いと情報開示」で2019年度の若手論文奨励賞を受賞した中澤慧氏(群馬大学)に、お話を伺いました。

―この度は受賞、おめでとうございます。改めて、研究の内容について教えて下さい。

論文では、心肺蘇生時の家族の立ち会いがテーマでした。心肺蘇生時の家族の立ち会いというのは、1980年代のアメリカで始まりました。それ以来、家族の立ち会いが良いのか悪いのかという倫理的議論があります。調査によると、立ち会いを希望するご家族は多く、そして実際に立ち会っても大きな問題が生じたわけではない。そういったいわば経験の積み重ねで現在、アメリカでは心肺蘇生時の家族の立ち会いを奨励するようになっています。しかし、理論的な根拠づけがまだ不十分であるように思われました。

先行研究としては、心肺蘇生時の立ち会いの根拠を家族による代理意思決定に求めるものがあります。つまり、「もし、患者さんに意識があるのであれば、立ち会いを望んでいるに違いない」と。自分が心肺停止したときに家族に立ち会ってもらうかどうかといったことについての事前指示は通常、残していないものですから、代理意思決定となるわけです。心肺停止に陥っている患者さんがはたして立ち会ってほしいのかどうかということを家族が推測し、その結果として立ち会いがなされるべきだというのがその先行研究の趣旨です。

しかし、私はむしろ家族の立ち会いを情報開示という点から見てみたほうが有益なのではと考えました。実際に患者さんの心肺蘇生に立ち会うことで家族は、患者さんをつぶさに見て、患者さんに触れ、状態を確認できます。家族の方に患者さんの病状を説明するのはごく一般的なことですから、家族への情報開示という観点から心肺蘇生時の家族の立ち会いを捉え直してはどうかと考え、論文を執筆しました。

―情報開示の基準としていくつか挙げてらっしゃいますが、重要な論点はどういったところにあるのですか?

家族が立ち会いを強制されてしまうという危険性には留意しないといけません。立ち会いは家族への情報開示であり、家族が希望する場合に限り、心肺蘇生時の立ち会いがなされるべきであろうと考えています。そもそも家族は心肺蘇生に立ち会うべきだとか、そのように医療者がパターナリスティックに考えるのではなく、個々の患者さん状況に応じて考えるべきだと思います。

―患者さんのプライバシーと家族への情報提供とのせめぎあいといったものを感じさせますね。

心肺蘇生時の家族の立ち会いの根拠を代理意思決定に求めたとき、患者さんが助かって目が覚めたときに「ほんとうは家族には立ち会ってほしくなかった」と訴えられる可能性が反論としてすでに挙げられています。むしろ、根拠を情報開示に求めることでプライバシーの問題も回避できるだろうと思います。家族という親しい間柄にある人たちに患者さんの重篤な状態について情報開示することはごく一般的ですので、情報開示という観点から家族の立ち会いを捉えることで自然な説明を与えることができます。

―論文の社会的意義について教えてください。

アメリカを中心として欧米諸国では心肺蘇生時の家族の立ち会いについて調査研究もなされていますし、議論の場があります。それに対して日本はガイドラインも未整備で、例外的に小児の心肺蘇生時の立ち会いについてだけ触れられているという状況です。病院内などで議論を興すのが必要ですが、まずは関心を向けていただけると嬉しいです。本論文がそのきっかけになれればと考えています。

―研究の動機、きっかけについて教えて下さい。

臨床での経験がこの論文執筆のきっかけになっています。臨床医として当直をしていたときのことです。いつもと様子が違うということで家族に連れられて受診にいらしたご高齢の患者さんでした。診療中に心肺停止になってしまったのです。

心肺蘇生を試みましたが、夜間で、私の他には看護師が二人のみという体制でした。てんやわんやの感じで、家族の方への説明が十分にできませんでした。ご家族もまさか患者さんが心肺停止になっているとは思っていません。

ある程度落ち着いた段階で、看護師からご家族に説明したのですが、医者から説明を聞きたいと。そこで、ご家族を心肺蘇生している最中に招き入れ、説明したということがありました。

後から考えて、いったいこれで良かったのかなと思い、ガイドラインも確認しましたが、このような場合の対処方法をうまく見つけることはできませんでした。心肺蘇生時の胸部の圧迫はかなりの侵襲性があります。家族の方には見せるべきではないと研修医のときに言われていました。それだからこそ、後で考えて、本当によかったのかなと思ったのです。そのときにはただ必死で、なんとかご家族に伝えなければと考えていたのですが。

―研究で苦労なさったことはありますか?

生命倫理を研究する同世代の仲間がなかなか見つからず、一人でモチベーションを保つのは意外と大変でした。いまでも、大学院生の方とか、若手研究者の方々が運営している研究会みたいなものがあったら参加したいなと考えています。

大学の中での活動としては読書会をやっていて、哲学の本を輪読しています。去年はアドルノ、今はハイデガーです。国内で生命倫理の研究者とつながることも課題ですね。

同世代の研究仲間が周りにいないというのは不安なもので、研究を進めていても自信が持てなかった時期もあります。何回か論文の投稿を撤回しようかと思ったことさえあります。そうしたとき、査読者の先生からすごく温かなコメントを頂いたことが助けになりました。おかげさまで、どうにか論文を上梓することができました。本当に感謝しております。

中澤慧(群馬大学)(なかざわ・あきら)

  • 2015年 群馬大学医学部医学科 卒業
  • JCHO群馬中央病院 初期臨床研修医
  • 2017年~ 群馬大学大学院医学系研究科 医学哲学・倫理学講座 博士課程

インタビュー: 中澤栄輔、田中美穂