2018年に提出した博士論文をもとに『「患者」の生成と変容:日本における脊髄損傷医療の歴史的研究』(晃洋書房、2019年7月)を刊行しました。幕末期から現在までを対象に、脊髄損傷医療がどのように形成され展開したのかを検討し、「患者」の位置づけがどう変容したのかを示した医療史研究です。内容を簡単にご紹介させていただきます。

幕末・明治期、脊髄戦傷者(戦争による脊髄損傷者)は、適切な身体管理がなされず「余命いくばくもない者」として医学書にあらわれました。1930年代後半、戦傷病者の医療体制が整備され、陸軍病院では脊髄戦傷者に対して手術と後療法が組み合わされた治療が行われました。国策を背景に、長期生存が得られた結果、脊髄戦傷「患者」が生成されたのです。戦後は、戦中から続く療養所で医学研究が行われ、それが彼らの治療・看護体制を維持させることになりました。「傷痍軍人」から「医学研究の対象者」への変容です。また、戦後は労働災害による脊髄損傷者が増え、労災病院が開院されました。労災病院では陸軍病院時代と同様の精神面に重きを置いた歩行訓練が行われた一方で、一般病院に搬送された者は、適切な処置がなされず合併症を併発し予後が悪くなる事態が多発し、病院による医療格差が顕在化しました。運動を開始した脊髄損傷者たちは、生活上の便宜を優先し孤独から逃れるために社会復帰を拒んで「病院にとどまる患者」であることを求めていましたが、パラリンピック東京大会というひとつの転機が訪れます。イギリスの脊髄損傷者の競技会を嚆矢とするパラリンピックは、1964年に日本で開催され、身体障害者の就労への社会的関心を高めました。就労の実現には障壁がありましたが、脊髄損傷者たちは地域生活を実現させるために「脱患者化」し、医療とは距離を置きます。ところが1990年代後半、再生医療研究の台頭により、医療側は脊髄損傷者を「患者」として再び見出し「被験者化」しました。新たな価値を付与された脊髄損傷者は、「治癒への希望」によって駆動するものとされ、自律的に医療に参画し、国家プロジェクトを支える「患者」として振る舞うことが期待されています。同時期に、戦後の運動体から派生するかたちで再生医療研究に関与する患者団体が出現しました。被験者保護を重視する彼らの活動は研究に一定の影響を与えています。

本書を通し、国家、医療、患者それぞれの意図と社会的な要因が交錯して脊髄損傷医療が方向づけられていく過程を明らかにしました。現在の再生医療研究は、国のバックアップのもと、臨床応用をめざす研究者と治癒を望む患者が一体となって研究を推し進めるという構図で理解されています。日本における脊髄損傷の医学史・医療史を患者運動の視点を導入しながら提示することで、現在および将来の再生医療研究を問いなおす視点を提供することができました。たくさんの方にお手にとっていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

(立命館大学衣笠総合研究機構 専門研究員 坂井めぐみ)