超長寿社会の倫理 部会/森下直貴

本部会の目標は、超長寿化の中で、「老いの価値」を再発見し「老人の役割」を再設定することを通じて、若者を含めて全世代の人々が生きがいを持つことのできる社会を構想することにあります。

当初の予定では、「最晩年期の高齢者の実態」「医療介護資源配分と社会保障制度」「地域包括ケアとコミュニティデザイン」「東アジアの高齢化調査」など、多種多様なテーマを取り上げる予定でしたが、コロナ禍の中で計画は大幅に縮小されました。結局、慣れないリモート会議やメールのやりとりを通じて部分的に論じ合ったのは、「高齢者の安楽死問題と生きがい」「デジタル技術と長寿社会(ロボット・AIの利活用)」「認知症高齢者の治療と介護」だけでした。

それでもこの間の活動を通じて二つの重要な観点が浮かび上がりました。

その一つは、今日にまで続く「老人問題」の起源です。フランスではボーヴォワールの『老い』、日本では有吉佐和子の『恍惚の人』、米国では「老年学の父」ロバート・バトラーの『老後はなぜ悲劇か』が、1970年代の前半に出版されました。これら三冊は「老人問題」の古典と言えるものですが、同時に出現した背景には高齢社会の切迫した現実があります。「老人問題」の広がりと深まりを受け止め、その行く末を見定めるためにこそ、半世紀前の起源的な三冊を精読する必要があるでしょう。

もう一つは「世代責任」の観点です。「世代」概念には三つの側面、すなわち、系譜的連続性(親子代々)、周期性(幼年期・青年期・中年期・老年期のライフサイクル)、同時代性(価値観を共有する同年齢集団)が含まれています。これらを総合すると、「先行世代から受け継いだ価値観を多様化・洗練して後続世代に引き渡す」という世代責任の観点が浮かび上がります。老いの価値と老人の役割を捉え直すためには、世代の責任という観点から老人世代を位置づける必要があるでしょう。