正義と言えば、ビーチャムとチルドレスの4原則の一つとしての正義原則を想起する人が多いだろう。だがこの原則は、患者の自律尊重、善行、無危害という諸原則に比べると最も理解しにくいものである。

正義とは人々を平等に扱うことだと思っている人もいるかもしれない。だが正義と平等は異なる概念である。人々を平等に扱うことが正義に適う場合もあれば、そうでない場合もある。例えばトリアージの状況において重傷者も軽傷者も平等に扱おうとするなら、それは正義に反しているだろう。

では正義とは何だろうか。医療に限らず刑罰や環境問題といった現代の諸問題に関して正義は何を要求するのだろうか。本書はこのような問いに理論的に取り組むものである。

本書は「ベーシックス」と「フロンティア」の2部構成になっている。「ベーシックス」が扱うのは、主に現代英米圏における正義の基礎理論である。第1章の序論に続き、第2章では現代正義論の出発点となったロールズの理論が、また第3章ではロールズやその他の哲学者から批判を受けながらも独自の発展を遂げている功利主義が詳説されている。

第4章は人々に分配するべきものは幸福か基本財かケイパビリティかという、分配的正義における尺度の問題を扱っている。第5章は正義を考える上で個人の責任がどのような役割を果たすかという問題が扱われる。第6章は財の再分配は平等を目標とするべきか、または他の理念を目標とするべきかを論じている。第7章では個人の自由を重視して財の再分配を否定するリバタリアニズムや、一定の再分配を認める左派リバタリアニズムの立場が紹介されている。

後半の「フロンティア」では、正義が問題になる国内外の現実的問題が論じられている。第8章は貧困と格差の問題が、国内およびグローバルな視点で議論される。第9章は家族や教育の問題、第10章は医療と健康の問題が扱われている。第11章は刑罰論が死刑の存廃論を中心に論じられる。

第12章では今日「正戦論」として知られている戦争における正義の問題が、また第13章では地球の人口問題が扱われている。最後の第14章では気候変動に関する正義が、世代間の正義の問題を含めて論じられる。

各章では、体系的な説明に加え、思考実験を用いて具体的に考えるように工夫が施されており、この一冊を読めば正義という重要な概念をめぐる今日的な議論の現状がわかるようになっている。

児玉聡(京都大学)