―生命倫理の研究のきっかけを教えてください

1996年に、突然にユネスコから国際生命倫理委員会の委員へのお誘いを受けました。当時、この委員会では、「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」(ヒトゲノム宣言)を作っている最中でした。国際機関のガイドラインというのは、どのように作り、どのような影響を及ぼし、どのような効果があるのか、それを経験することは国際法学者―京都大学で国際法を教えていました―として関心がありました。法も倫理や道徳もすべて社会規範です。国際法も国際生命倫理も、社会規範としては同じだと思いました。生命倫理に携わるようになったのはそれからです。この経験から日本では、ヒトゲノム・遺伝子解析研究、クローン法や再生医療法、医学系研究など生命倫理に関連する法やガイドライン作りのほぼすべてに関わってきました。
最初はゲノムのゲの字も知らないくらいでしたが、実際にルールを草稿する作業は大変面白かったですし、ゲノムや医学の勉強もしました。中村祐輔先生に手ほどきを受け、耳学問と分かりやすい本を読むという感じです。そこが私の生命倫理の入り口でした。

―ヒトゲノムと人権に関する世界宣言の策定に携われたご経験について教えてください

ユネスコの生命倫理委員会は当時55名程度で、経済学者、哲学者、ノーベル賞科学者もいました。ウルグアイの元外相や国際司法裁判所前裁判所長、ドイツの州最高裁判事など、世界中から様々な分野の著名な方々がおられました。
ゲノムを科学的に解明して医療等に応用するとき、それが人間にどう影響するのか倫理的な問題を考えなければなりません。生命倫理は倫理学者だけが議論するのではなく、人間の生命・生活に関わるさまざまな分野の人たちによる議論だ、とそのときに理解したのです。でも、人の生命の問題について全員一致は無理なので、民主主義の社会である以上、多数の意見を採用します。ただし少数の意見も踏まえてルールを作ります。そうしたルールづくりの姿勢も実感しました。
何よりも重要なのは、科学者と非科学者がお互いに分かり合うことです。科学者の研究は一言でいえば、何か新しい発見する、新しいものを作り出すものですから、結果が重要です。法律家は、いろいろな状況を斟酌しながら、ルールを事実に当てはめていきます。そのプロセスが重要なのです。

―立場や専門を超えて共通点を見出すことが重要?

いずれの国にもそれぞれ価値観、生命観、人間観があり、それに基づいてルールが作られます。ところがユネスコはいろいろな国の人が、いろいろな考え方で議論をする。その中で共通なものを探っていきます。細かい基準やルールではなく、どの国にも共通する原則を見出すことに努めるわけです。いろいろな国の人が自分たちの価値観なり基本的な考え方をベースに議論すると、お互いの違いが分かってきます。違いが分かると共通の部分が分かります。そこに共通原則があります。
例えば2005年のユネスコ「生命倫理と人権に関する世界宣言」は、インフォームド・コンセントや弱者の保護といった15の原則を掲げています。細かい規則ではなく「原則」です。インフォームド・コンセントといっても、国や文化によって違いがあり、ファミリー・コンセントとか、コミュニティ・コンセントとか、必ずしも一対一のコンセントではないこともあります。宣言には細部を書き込めないのです。そこで、国際生命倫理委員会は、宣言採択後に、各原則の内容を掘り下げて相違点も含めて解釈・説明する作業をしています。

―研究において大切にされていることは何でしょうか?

プロセスを大切にしながら、具体的な生命倫理、つまり倫理のルールがどうあるべきかを、その題材ごとに考えてきました。それが私の研究だったわけです。
科学の役割を社会がどう見て、どう考えて、どう判断するか。そこは社会規範の問題です。国際法と生命倫理は全く別物に見えますが、私は同じことをやっているつもりです。国際法は国と国の話、生命倫理は体の中、細胞のなかの話、次元が違うように見えるけど、私は規範という意味で一つだと考えています。
規範とは、人間をどういうふうにすれば幸せにできるか、です。国際法では世界平和が中心です。「平和」は、「戦争がない」だけではなく、ひとりひとりの安定した豊かな生活をいいます。生命科学、医学はまさにその基礎の部分を担っています。そこに国際法学者として関わり、国際的な観点と日本の考え方を併せて、「日本ではどうするか」というのを考える。それが私の研究であり、実践なのです。

―日本生命倫理学会の思い出を教えてください

国際交流委員会を4期務めました。委員長としては、日本の生命倫理学会は、西洋とアジアをつなぐ役割を担うべきではないかと考え、毎年アジアの生命倫理学者を招聘して講演を企画しました。また、会員が外国の研究者を招聘して講演会などを行う際、生命倫理学会が後援できるように後援規定を作りました。生命倫理学会の国際化の環境づくりができれば、と思っていました。
私は、学会では何かしら貢献するように心がけていて、大会にせよ委員会にせよ、必ず発言することにしています。発言するには十分準備をし、そのつもりで話を聴かなければならないし、自分の考えをまとめておかなければならない。その訓練も勉強です。

―今、日本の生命倫理研究者に期待されていることは何でしょうか?

国際的に期待されるのは日本的な生命倫理観、あるいはアジアの生命倫理観です。だからアジアの人と議論するのはすごく重要だと私は考えてきました。生命倫理「学」という観点からすると、アメリカとかヨーロッパの学者を呼んできたほうが役に立つかもしれないけれど、僕はもっとプラクティカルというか、もっと社会との関係を考えていました。
アジアの研究者を招聘し、日本人と議論をしてほしいと。日本ではこうですよ、という紹介だけではだめです。日本ではこうですよ、なぜなら、これこれこういう考え方があると「私」は考えるから、と言わなければならない。その理由は、自分で考えるしかありません。日本ではこういう考え方があり、その結果、日本ではこのような共通ルールになっているのだと「私は考えています」というのが重要です。
政府が指針を作ったとしても「私はそれに反対です」とか「私はこれは正しいと思います」とか、そういう議論をしてようやく学会の議論になるのです。
学会でも「先生がこう言ったけれど、私はこう考えます」と、発表者と議論をする。相手の問題点をこちらが指摘しないといけない。自分だったらどう考えるかというのが一番の中心です。そこがないと、本当は学問もできないと思います。研究者としては、誰かの研究発表を聴いて、自分がそれをどう理解して、それに対して自分なりの評価をするのが本来で、疑問があるなと思ったらそこで訊く。発表者もそれに答えることによって、それまで考えていなかったことがでてくるかもしれない。そういうやりとりをするのが研究者だと思います。

―若手研究者にエールをお願いします

若い人は、恥かいてもいいから、とにかく自分の意見を言わないといけません。自分でつまらない質問だと思わないで、自分の質問は「絶対いい!」と思わないといけない。
そこでいい質問するためには、心構えが必要です。人の話を聴いていて、何が問題かということをきちんとつかまないといけない。そのためには自分が勉強をしないといけません。
相手の話の要点を捉え、自分の論理を組み立て、それを相手にぶつけ、それが自分に返ってきて、自分の意見をまた修正し、そして次の段階に行く。それが議論です。

位田隆一
1948年生まれ。
京都大学法学部助手、岡山大学法学部助教授などを経て1986年より京都大学法学部教授。2016年より滋賀大学学長。専門は国際法、国際生命倫理。1996年よりユネスコ国際生命倫理委員会委員、のち委員長。

論文・著作抜粋

  • Brigitte Feuillet-Liger, Ryuichi Ida (dir.). 2011. Adolescent et acte médical, regards croisés. Bryulant.
  • 位田隆一、片井 修、水谷雅彦、矢野智司(共編著). 2010『倫理への問いと大学の使命』京都大学出版会.
  • Julian Savalescu et al.(ed.). 2009. Human Enhancement. Oxford University Press.
  • 位田隆一. 2005. 国際法と生命倫理―国際生命倫理法の構築に向けて―. 法學論叢(京都大学).
  • 位田隆一. 2004. 「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方」について. 生命倫理.
  • 位田隆一. 1999. 生命科学と人権:ユネスコ「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」. 国際人権(日本国際人権法学会年報).
  • 位田隆一. 1991. 国際連合と国家主権―国際機構の実効性と国家主権によるコントロールの対峙―. 国際法外交雑誌(国際法学会誌).
  • 位田隆一. 1985.「開発の国際法」理論―フランス国際法学の一端. 日仏法学(日仏法学会年報)(安達峰一郎賞受賞論文).
  • 位田隆一. 1985.「ソフトローとは何か―国際法上の分析概念としての有用性批判― 一・二(完). 法學論叢(京都大学).
  • 位田隆一. 1974-75. 国際経済機構における実質的平等の主張―国連貿易開発会議の成立― 一、二(完). 法學論叢(京都大学)(アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞受賞論文)

インタビュー: 田中美穂、中澤栄輔