本書は、Carol Gilligan, Joining the Resistance, Polity Press, 2011の全訳です。
本書の著者キャロル・ギリガンの主著In a Different Voice: Psychological Theory and Women’s Development , Harvard University Press, 1982(川本隆史、山辺恵理子、米典子訳『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』風行社、2023年)においてケアの倫理が提唱されて以降、ケアの倫理には、多くの賛同者が現れると同時に、伝統的な女性差別を促進させるという批判の声も投げかけられました。本書においてギリガンは、それらの批判に応答しています。
ギリガンは、『もうひとつの声で』刊行後も、心理学分野において少女や女性が調査対象から除外されてきた、あるいは、少女や女性の経験が例外とされたり取るに足らないものとされたりしてきたことから生じる空白を埋めるため、少女や女性たちの調査はもちろん、少年やその父親たちの調査も進めていきました。これらの研究成果を通じてギリガンが辿り着いた結論こそが、「家父長制の文化のなかでは、ケアの倫理をともなうもうひとつの声は、女らしい響きをもっている」けれど、「それがまさにその声として、その響きのままに聞かれるならば、その声は人間の声である」(本書、31頁)というものです。
ギリガンは家父長制という言葉を「男を女からだけでなく男からも引き離し、女を善と悪に分けるような態度や価値観、道徳規範(コード)や制度」(本書、218頁)を表わすものとして使用しており、それはジェンダー二元論とジェンダー階層からなるものだと説明しています。このような家父長制文化に迎合している限り、ケアの倫理はジェンダー化された女らしさの響きから逃れることは困難であり、したがって、その真価を発揮できません。だからこそ、ケアの倫理は家父長制文化に抵抗するのであり、真のケアの倫理の実現のためには家父長制の解体が目指されるとギリガンは考えるのです。
ギリガンの定義するフェミニズムとは、「人間の歴史における偉大な解放運動のひとつ」であり、「民主主義を家父長制から解放するための運動」(本書、216頁)です。ここで提示されるフェミニズムとは、女性に限定された問題に取り組むものではなく、女性と男性のあいだの闘いと定義されるようなものでもありません。それは、女性だけではなく男性も家父長制から解放するものであり、ひいては、ジェンダー階層やジェンダー二元論からなる家父長制の解体を訴えるようなものです。このような姿勢は、既存の家父長制システム内で女性が置かれてきた問題のみを強調するようなフェミニズムのあり方に疑義を呈するようなものとも読み取ることができるでしょう。
本書を通じてギリガンは、ケアの倫理に女らしい響きをもたらしてしまうような社会の根本的な問題を浮き彫りにし、人間の倫理としてのケアの倫理にもとづく資源がすでに私たちの内部にあることを訴えかけることで、ケアの倫理の目覚めを広く促しているのです。
以下に目次を掲載いたします。
序
第1章 未来を見るために過去を振り返る―『もうひとつの声で』再考
第1節 正義対ケア論争の先にある議論に向けて
第2節 なぜケアの倫理は攻撃にさらされているのか―家父長制への通過儀礼
第3節 鍵としての少女と女の声―家父長制への抵抗
第2章 わたしたちはどこから来て、どこへ向かうのか
ある寓話
第1節 わたしたちはどこから来たのか
第2節 わたしたちはどこまで来たのか
第3節 わたしたちはどこへ向かうのか
第4節 なぜわたしたちは、いまもなおジェンダーを研究する必要があるのか?
第3章 自由連想と大審問官―ある精神分析のドラマ
第1幕 『ヒステリー研究』と女たちの知
第2幕 トラウマの隠蔽
第3幕 女たちの抵抗、男たちとの共闘
第4幕 大審門官の問いかけ―愛と自由を引き受けるために
第4章 抵抗を識別する
第1節 美術館で
第2節 もし女たちが…
第3節 抵抗
第4節 完璧な少女たちと反主流派たち
第5節 少女を教育する女/女を教育する少女
最終楽章
第5章 不正義への抵抗―フェミニストのケアの倫理
第1節 ケアという人間の倫理―少年たちの秘密
第2節 ケアの倫理が目覚めるとき―民主主義を解放するために
謝辞
訳者あとがき
参考文献
小西 真理子(大阪大学)