書いた本人が言うのも何だが、これは相当に奇妙な本である。だいたいタイトルが長いうえに、「×」とか入っていて意味がよく分からない。出版前はいったいどういう反応が来るのかまるで読めず、誰にも届かない「世紀の奇書」になったらどうしよう、という不安にかられることもあった。幸い出版から2か月ほどたち、それは杞憂に終わり、それどころか生まれて初めてSNSで書店員さんの「これ売れてます」的な反応を目にして、安堵するやら驚くやらの日々である(私の本はたいてい売れないこともないけどたいして売れるわけでもないので)。

 さて、この本がどんな本なのか、ということについては出版社のウェブサイトで公開されている「はじめに」を読んで頂ければ良いのでここでは繰り返さない(https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/110635)。構成はいたってシンプルで、緩和ケアの現場で起きる「もやもや事例」が冒頭に提示され、それに対して緩和ケア医の森田さんと私が交互にコメントしていく、という本である。読者としては医療者を想定しているが、本学会会員のように人文・社会科学系の議論にすでに親しんでいる医療者というよりは、普段は臨床どっぷりだけど、ちょっとだけそういう話も覗いてみたい、という人を想定している。

 そう聞くと、そういう「事例ベースの医療者向け臨床倫理もの」ならよくあるんじゃないの、と思われるかもしれない。確かに各章前半はそんな感じで話は進んでいくのだが、問題は後半である。ここで目の前の問題にどう取り組むか、という実践的な話から「そういえばなんでそもそもこんな問題が起きるんだっけ」という現場で直ちに役に立つとは思えない話にシフトしていくからだ。挙句の果てに、本の中盤以降はここに社会学色の濃い「医療の相対化」っぽい話がじわじわと入ってくる。現場の問題解決のヒントになれば、と思って手に取った人に対して、なんだか急に冷や水を浴びせるような展開になっている、と言えなくもない。これ大丈夫なのか、というのが書いた本人の率直な感想だった。

 しかし何人かの読者の反応を見て理解したのは、この本は現場の医療者にも必ずしもそういう読まれ方はしていない、ということだった。これはひとえに、共著者の森田さんが、私が何を言おうが最後はスーパー整理力を発揮して、何かしら臨床現場で働く人にとっても理解可能な話にまとめ上げているからだ。そういえば、ドラフトを読んでもらった社会学者から「この人のまとめ方は何だかすごいね」的なコメントが返ってきたことを思い出す。

 例えば、和栗のモンブランが食べたい、という緩和ケア病棟の患者の希望に応えて職員がケーキを買ってきてあげることは「特別扱い」なのか、という事例から始まる章がある。前半は「ニーズに応じた公平」という線で、形式的な平等だけが公平じゃないよ、という話で整理はしていくのだが、後半はこの話を職務に関する線引き問題としてとらえ直し、社会学の「無限定性」概念を応用した少々ややこしい話に突入する。これを森田さんは私が想定もしていなかった「えいやで図にする」という形で整理したうえで、自分の臨床経験に即して「それってこういうことだよね」と語り直すのである。この翻訳により、この話は現場の医療者にとって明らかに「食べやすく」なっている。

 そうなのである。ピッチャーが少々きわどい球を投げてもキャッチャーがしっかりしていれば試合は成立するのだ。その意味では、本学会の人文・社会科学系の研究者には是非、森田さんの「受け止めっぷり」を楽しんで頂ければと思う。こういう風に受け止めてもらえるなら、私たちはまだまだ現場に向けて色んなボールが投げられる、ということを確認するためにも。

 なお、本の出版後に二人で行った対談が出版社のウェブサイトで公開されている。こちらも併せて読んで頂けると嬉しい。

人文・社会科学の知見で臨床のもやもやを整理する(『週刊医学界新聞』第3526号)
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2023/3526_01

田代 志門(東北大学)