本書のコンセプトは、これまで「正常人」たちの言葉や思考を押しつけられていた「狂人」たちが、「正常人」の社会から奪った「理論」という武器を手にすることで、みずからの言葉と思考をもって〝狂気〟の側から反撃するというものです。常識を逸脱していると警戒されるラディカルさをもっていたり、突拍子もなく何を言っているのかわからないとされるものであったり、正確な知識や良識からすれば正当でないとされるものであったり、単に病んでいるとか、支援や教示が必要であると認識されたりするような発言に対して、拒絶や否定が示され、介入の必要性が説かれる事態は、度々知覚可能なことです。本書が共通テーマとして掲げる、世間一般的には「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生に「意味」を見いだそうとする営みを、本書では〝狂気〟と名づけました。このような〝狂気〟を肯定する人びと、すなわち、〝狂気な倫理〟を表出させる者たちが集うことによって、本書は誕生したのです。
本書は「狂気な倫理」を核心とすることで全3部、13章から成ります。
第Ⅰ部「『愚か』な生を肯定する」では、強固に確立されている現代家族規範の再考を試みています。規範的な家族像によって苦しむ「愚か」とされる人びとの生きづらさは、その規範やそれを構築する制度が善きもの・あるべきもの・正しいものだと絶対視されることで促進されます。この点を再考することで、現代家族規範の背景にある諸問題やその規範がもつ暴力性を浮かび上がらせます。
第Ⅱ部「『不可解』な生を肯定する」は、正常性から逸脱したものと見なされてきた生/性について、その周縁的な視野からこそ見いだされる景色を描き出すものです。精神病理や社会病理として認識されたり、そもそもなかったことにされたりしてしまうような生/性を支点とした主張を検討することで、現代社会で排除されている生/性が可視化され、その排除を正当化する理屈や実態の欺瞞が暴かれるでしょう。
第Ⅲ部「『無価値』な生を肯定する」では、障害や病に着目することで、健常者や専門家らによる生命の選別や序列化を批判します。今日、優生思想は建前的には批判対象となっていますが、その思想はある種の「配慮」を打ち出すことによって許容可能なものかのような姿を見せています。本部に収録されている諸論考は、現在、巧妙に隠蔽されている生命の選別的態度を暴き、そのようなものを取り巻く制度や権力、個人の細部に切り込みを入れるでしょう。
以下に目次を掲載いたします。
まえがき(小西真理子)
第Ⅰ部 「愚か」な生を肯定する――家族論再考
第1章 「不幸」の再生産――世代間連鎖という思想の闇(小西真理子)
第2章 「カサンドラ現象」論――それぞれに「異質」な私たちの間に橋を架けること(髙木美歩)
第3章 ケア倫理における家族に関するスケッチ――「つながっていない者」へのケアに向けて(秋葉峻介)
第4章 「私の親は毒親です」――アダルトチルドレンの回復論の外側を生きる当事者を肯定する(高倉久有・小西真理子)
第5章 生み捨てられる社会へ(貞岡美伸)
第Ⅱ部 「不可解」な生を肯定する――周縁からのまなざし
第6章 狂気、あるいはマゾヒストの愛について――一九五〇年代『奇譚クラブ』における「女性のマゾヒズム」論を読む(河原梓水)
第7章 戦後釜ヶ崎の周縁的セクシュアリティ(鹿野由行・石田仁)
第8章 ひきこもりから無縁の倫理、あるいは野生の倫理へ(小田切建太郎)
第9章 動物と植物と微生物のあいだ――『妖怪人間ベム』があらわす反包摂の技法(山本由美子)
第Ⅲ部 「無価値」な生を肯定する――障害と優生思想
第10章 看護再考――〈大人〉たちへのアンチテーゼ(柏﨑郁子)
第11章 パラリンピック選手の抵抗の可能性と「別の生」(北島加奈子)
第12章 脳・身体・音声言語――「正常/異常」の区別を越えて(田邉健太郎)
第13章 今いる子どもと未来の子どもをめぐる光と闇――先天性代謝異常等検査と出生前診断のもたらすもの(笹谷絵里)
あとがき(河原梓水)
以上の論考を通じて、現在規範的とされる生の外側に生きる「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の一部を肯定することで、その肯定によってこそ見いだされる闘争の姿を提示いたします。本書に収められているもののなかには、受け入れがたいと認識されがちな思考が見られるかもしれませんが、その思考は本書の執筆者たちが見ている世界の景色からすれば「当たり前」のことにすぎないという点にぜひ着目していただきたく思います。
小西 真理子(大阪大学)