本書は、私が2017年に前著(『ヒトiPS細胞研究と倫理』、京都大学学術出版会)を出版して以降、先端科学技術を開発する研究機関で取り組んできた生命倫理学研究の成果です。本書が扱う先端科学技術は、社会を大きく変えるインパクトを持っているだけに、私たちはまさに今、(本書の書名にもなっている)「命をどこまで操作してよいか」という喫緊の問いに取り組む必要があると考えています。

 本書には2つの新しさがあります。

 第一に、科学と倫理の最前線で議論している点です。
 現在、生命科学の現場では多分化能(様々な組織や臓器の細胞に分化する能力)を持つES細胞やiPS細胞が生み出され、それらから精子・卵子、受精卵や脳のようなものが作り出されています。さらに細胞の遺伝子を操作して、病気の原因を調べたり、薬を作ったりすることもできるようになっています。私自身、最先端の生命科学を研究する研究者とも連携することで、私たちが今後、どう生きるべきか、また社会はどうあるべきかについて考えてきました。本書では、私が日頃から向き合っている、「命の操作」に関連する主要な検討課題を論じています。このように時事性の高い先端科学技術と生命倫理学の接点(科学と倫理の最前線)で問題提起することは、これまであまり見られなかった新たな試みだと言えます。

 第二に、「道徳的地位」という考え方を導入している点です。
 道徳的地位とは、人(家族や他者)、動物(伴侶動物や野生動物)、人工物(実験室で作られる細胞の塊)、生態系(土地を含む広義の自然)がそれ自体で持つ価値や、私たちが付与する価値を分析するための概念です。哲学や倫理学では1970年代以降、動物実験、中絶、胚研究、環境問題などの文脈で、私たち一人ひとりが動物、胎児、胚(受精卵)、自然環境に対してどのような道徳的義務を負うかが盛んに議論されてきました。その中で中核的な役割を果たしてきたのが、道徳的地位をめぐる議論です。これまで日本では、本格的に一般に向けて道徳的地位については論じられていません。しかし、私の見立てでは、動物を扱う研究も、人の細胞を扱う医学研究も、ゲノム編集を用いた生殖も、道徳的地位の考え方を導入することで、ある程度すっきりと問題を整理することができると考えています。その意味で、道徳的地位は、哲学や倫理学の分野でのみ有用な分析概念ではなく、一般社会でも有用な、極めて実践的な分析概念だと言えるでしょう。

 本書の構成は以下の通りです。

 第1章 私たちは誰(何)に対して道徳的義務を負うか
 第2章 動物で人の臓器を作ってよいか
 第3章 体外で胚や脳を作ってよいか
 第4章 体外で作られる精子・卵子から子どもを生みだしてよいか
 第5章 子どもの遺伝子を操作してよいか
 終章   生命倫理の議論はどうあるべきか

 第2章~第5章は、それぞれで内容が完結しています。ただ、第1章(道徳的地位に関する議論)を読んでいただくことで、実践問題(各章)の結論もより深く理解いただけると思います。したがって、たとえば、第1章と第3章(体外で胚や脳を作ること)、第1章と第4章(体外で作られた精子・卵子から子どもを生み出すこと)というように、第1章とセットで各章を読んでいただくとともに、理論的な枠組みに関心があるという方には、第1章と終章をセットで読んでいただけると有難いです。

澤井 努(京都大学)