研究室訪問の第5回目は、立命館大学生存学研究所に、川端美季先生を訪問しました。

川端先生がもっとも最近発表されたご論考は「清潔の指標―習慣と国民性が結びつけられるとき」(『現代思想』487号、2020)です。まずは、このご論考を手掛かりに、現在進めておられる研究についてお伺いしました。

これまで研究を進めるなかで、“清潔であることが当たり前” という意味で、清潔は “規範” になっていることに注目するようになりました。清潔が “規範” である以上、倫理的な問題をたくさん含んでいます。日本の人にとっては清潔であることは今さら問い直すこともない当然のことで、しかも「善いこと」と捉えられがちです。

一般の方に講演などでお話をさせて頂く機会がありますが、「清潔」という問題をどうしたらわかりやすく伝えられるだろうとずっと考えてきました。多くの人がその概念について考え直したこともなく、「善いこと」であることを疑ってはいません。そこで、『清潔であるとはどういうことだと思いますか?』と最初にお聞きするようにしています。みなさんの答えは様々です。私自身が、まず『清潔であるとは、不潔を見つけること』とお話しするようにしています。研究をするなかで思ったのは、清潔である状態を保つためには、あるいは何らかの環境や状況を「きれいに」するためには、そこから外れるものを常に見つけて除去したり、排除したりしています。つまり、清潔であることとは、常に不潔を見つけることを意味しています。このような意味では、清潔規範そのものが、そこから逸脱するもの・ことを見つける、目ざとくなるということをよしとするものでもあるといえるかもしれません。

川端先生に、これまであまり重要なテーマとして捉えられてこなかった「清潔」を選ばれた背景にあるのは「逸脱」への関心かとお聞きすると、次のように話して下さいました。

逸脱しているのは標準があるからですよね。標準の範囲があるから、そこから逸脱しているとみなされる。生命倫理だけでなく多くの学問領域が「逸脱」ということ自体を課題として取り上げ研究が進められていますが、私自身はそもそも逸脱させるための標準とは何だろうということをずっと考えてきました。逸脱という課題には差別や偏見といった問題を必ず含んでいます。差別や偏見に対する批判は非常に大事なことです。と同時に、そもそも逸脱って何だろうね、と、枠組を問い直すことも重要ではないかと思っています。

私たちの社会では「清潔感がある」というのは誉め言葉として機能し、「清潔でない」ことは非難の対象となる場合があります。なぜ「清潔でない」ことが非難の対象になるのかを考えるためには、そもそも「清潔でない」とはどういうことかを考える必要があります。「清潔」はジェンダーや倫理の問題と深く関わっていますが、そのことが自覚されにくいのは、私たちが清潔であることがよいことだという清潔規範を、あまりにも内面化してしまっていることの証左なのかもしれません。

このように清潔規範について検討してきたのは、川端先生の博論の研究テーマが大きく関わっています。川端先生は元々、医学史・科学史の領域で公衆浴場をテーマに研究をすすめられ、2016年には単著『近代日本の公衆浴場運動』(法政大学出版局、2016年)を刊行しています。

もともとは医学史・公衆衛生史を中心とした歴史研究をするなかで、「清潔」の問題だけでなく、公衆浴場に関心があって研究を開始しました。

川端先生は、著書を刊行した後も、なぜ公衆浴場という研究テーマを選んだのか幾度も尋ねられてきたとおっしゃっています。

公衆浴場というのは、近代の日本の人たちに、他の国々、たとえば欧米と比較して日本民族が清潔だという意識を誕生させました。近代において日本は、欧米を目指し、追いつき、いずれ追い越さなければならず、比較の対象でした。そこで欧米に負けないものとして日本の入浴習慣に当時の知識人が気づきました。入浴習慣は欧米で衛生的な習慣として捉えられていたものの、多くの国で根付いていなかったからです。また、近代日本は、北海道や沖縄、そして台湾や朝鮮半島といった周辺地域を「日本」として統治していく、「植民地」としていきます。異なる習慣・文化があり違う気候にも関わらず、いわゆる日本の入浴習慣のない人々に対し、風呂に入る習慣がない=不潔、みたいな文脈が作られていきます。文化や規範というものが一面的にとらえられ、新たな差別が生じていくわけです。日本の清潔規範とは、欧米と比較して日本を良い意味で価値づけたものから、日本の周辺諸国・地域を比較し差別を助長するというように機能しているのではないかと考えています。

ここ2年ほど、日本が植民地化した国々で作られた公衆浴場を通じて、日本の清潔規範がどういう形で伝わっていったのか、という問題に取り組んでいます。そもそも日本の公衆浴場に関する資料自体が非常に少ないのですが、「植民地」を対象とするとより少なくなってしまいます。日本人居留地の記録や、当時の写真、現地で発行された新聞を見ながら、例えば台湾にいる日本の人たちが入浴についてどのように考えていたのか、清潔とどのように結びついていたのかを調べているところです。ただCovid-19により、これまでのように海外調査には行けなくなってしまったので、方法を模索しているところです。

『現代思想』のご論考を手掛かりに、現在進めておられる研究についてお伺いしました。

川端先生は、単純に公衆衛生だけではなく、近代の学校教育における言説や修身教育の教科書などを見ながら、戦前・戦中までの日本で清潔規範がどのように伝わっていったのかを調べられてきたそうです。

ethicsに倫理学という訳語をつけた井上哲次郎が、公衆衛生とは異なる意味で清潔という意味づけにある種の役割を果たしたと考えています。近代日本では国民を一つにまとめるような精神的礎として、国民道徳が作られていきます。井上哲次郎は、国民道徳を唱えた嚆矢だと言われる人ですが、彼は国民道徳とは日本人の国民性を基盤として成立すると述べました。井上はさらに、国民性の特徴のひとつに潔白性があると言っています。国民性の議論は井上や井上の弟子たちを中心になされていきました。潔白性には身体の潔白と精神の潔白があり、身体の潔白に清潔習慣、精神の潔白には武士道が関連し、身の潔白を明かすために切腹をするという事例が結びつけられました。自ら潔く命を絶つのが潔白という国民性としても位置づけられていく先に、「潔くあること」が美しいといった死生観が関係してくるのではないかと考えています。昔の話から現代の話にすぐに結びつくわけではないので難しいのですが、こういった死生観と、安楽死・尊厳死言説との関連性は、生命倫理学と大きく関わる部分だと思っています。この内容の一部は、『近代日本の『国民性言説』における身体観と道徳観』として、2018年の第30回日本生命倫理学会年次大会で発表しました。

『現代思想』に発表された「清潔の指標―習慣と国民性が結びつけられるとき」は、一般の方にもわかりやすくコンパクトにまとめられています。川端先生ご自身も、通常論文を書く時よりも、少し積極的に主張をされたと振り返っておられました。この論文には反響もあり、この論文をさらに展開させた形で、近代から戦後にかけての清潔規範の歴史について、2021年の夏を目途に出版する準備に取り掛かっておられるとのことでした。

最後に川端先生の所属されている立命館大学生存学研究所について、伺いました。川端先生の所属される立命館大学生存学研究所(2018年まで生存学研究センター)は、という名称で、2007年度に文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の採択を受け、設立されました。GCOEの時から「障老病異」をキーワードに、四つの課題群(生存の現代史、生存のエスノグラフィ、生存をめぐる制度・政策、生存をめぐる科学・技術)を設け、これらの課題に関連する多くの研究者が現在も活動しています。現在の生存学研究所所長は立岩真也先生、副所長は大谷いづみ先生が務めておられます。

研究所が出している紀要『立命館生存学研究』。第3号(2019年)はアーカイヴィングについての特集号でした。第4号は3つの特集(「特集1 有馬斉著『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』合評会」、「特集2 『日本気象行政史』のから生存をめぐる制度について考える」、「特集3 国際シンポジウム「共有できない平和/争いが移動する」」を組み、8月に発刊されました。

生存学研究所の書庫を案内して頂きました。所蔵図書は出版年の順に並べられ、関係者に貸出可能なシステムになっています。

今年の生存学研究所は、①生存学アーカイヴィング、②東アジアにおける生存学拠点形成、③支援テクノロジー開発という3つのプロジェクトも進められています。

生存学アーカイヴィングでは、これまで196070年代以降の医療・福祉政策と障害者運動や社会運動に関する文字資料や映像資料を収集・整理してきましたが、今年はCovid-19をめぐるさまざまな問題についても資料や情報が収集されつつあります。この蓄積は、http://www.arsvi.com/(年間約300万ヒットのHP)において公開されています。

東アジアにおける生存学拠点形成では、これまで所属教員や研究員の方によって国際研究発信、国際研究交流が行われており、毎年、障害学国際セミナーを日本、韓国、中国、台湾の持ち回りで開催しています。今年度はCOVID-19流行の影響によりオンラインで、718日に障害学国際セミナー「東アジアにおける新型コロナウイルス感染症と障害者」が開催されました。ここでは英語によるセミナーを日本語へ同時通訳、さらに手話通訳、日本語字幕をつけるという最先端の技術的な取り組みがなされたイベントでした。生存学研究所では、オンラインセミナーがすでに複数開催され、そのノウハウの蓄積がなされ、情報保障の課題にも取り組んでいます。

支援テクノロジーでは、様々な障害のある人たちの移動アクセシビリティや、視覚障害や聴覚障害をもつ人たちに対する情報アクセシビリティの問題を現在は主に扱っています。2019年度から移動アクセシビリティ・プロジェクト(研究代表者:大谷いづみ先生)を進めており、国内外の調査研究が行われています。移動アクセシビリティや情報アクセシビリティは、教育や就労にも大きく関わっており、より広い視野で検討していくこととされているそうです。

川端先生はこれらのテーマに特別招聘准教授としてかかわっておられます。ご自身の「清潔の規範」をキー概念とする研究とともに、これらの研究にも今後も積極的にかかわっていきたいとお話しされていました。

(情報委員会 加藤太喜子)

この「研究室訪問」というコーナーでは、本学会会員の皆様が所属する研究室・研究センターを本学会情報委員会のメンバーが訪問し、研究室・研究センターの紹介に加え、どのような研究に携わっていらっしゃるのか、これからどのような研究が必要か、といったことについて、ざっくばらんにお話を伺います。学際的で多様な分野の研究者の方々にお話を伺うことで、皆様の研究活動にプラスになれば幸いです。伺った内容は、何枚かの写真とともに情報委員会のメンバーが執筆した記事として本コーナーで紹介いたします。