研究室訪問の第3回目は、アカデメイア立命(立命館大学衣笠キャンパス)にて、美馬達哉先生の研究室を訪問させて頂きました。

美馬先生は2020年7月に『感染症社会―アフターコロナの政治学』(人文書院、2020年)と、「エンハンスメントから見たスポーツ」石坂友司・井上洋一編著『未完のオリンピック』(かもがわ出版、2020年、114-137頁)を公刊されています。まず『感染症社会』のお話から伺いました。

「本では生命倫理学にあまり触れていませんが、それには歴史的な理由があります。生命倫理学は、1970年代から80年代の先進諸国で、心臓病や糖尿病などの慢性疾患が問題になってきたころに出てきたので、急性感染症の問題は中心ではありませんでした。また、その直後に、エイズの問題が論じられたという要素もありますよね。エイズについてはプライバシーや人権に関する当事者運動が非常にさかんでした。そこで、感染症だから強制的に検査するとか、病気の人を隔離するとか、国境検疫といったことは人権侵害で、個人の人権が生命倫理学の重要な理念だというコンセンサスがありました。21世紀になってSARSや鳥インフルエンザの流行といった中で、社会防衛の評価を含む感染症の倫理といった視点が出てきたわけです。この辺りの経過はまっとうな議論の最低限の前提ですから、また、まとめないといけませんね。」

こうした「感染症の倫理」については、川口有美子先生との対談がちかぢか公刊予定とのことでした。(川口有美子・美馬達哉「トリアージが引く分割線」『現代思想』20208月号105-116頁)

「現在の状況は、感染者であると言われた時の不利益があまりに大きく、スティグマになっています。保健所が追跡しようにもコンタクトをとれない、つまり保健所に協力しない人の方が増えてきていることを見ても、積極的疫学調査ありきの感染症対策のあり方は倫理的に失敗だったと考えざるを得ません」

――PCR検査で陰性だとされたことが何を意味するのか、つまり陰性だからといって感染していないとは言えるわけではないことが『感染症社会』の第三章で明確に整理されていて、大変勉強になったのですが

「エイズの時と同じ構図なんですね。ウイルス感染してから抗体ができるまでに2週間かかるので、その間に匿名検査の代わりに献血をした場合にどうなるのか。PCR検査での偽陰性、つまり本当はウイルスが存在するのに検査では陰性の場合のリスクに関わる議論がありました。その辺りの話は、現在の医療倫理的な課題と重なってくるところです。」

「あとは、緊急時だから薬を早く認可してしまえという圧力をどう考えるかという問題があります。最低限の手順は踏む必要があるし、万一被害者が出たときに救済するシステムをきちんと構築しておくべきだという話になりますよね。しかも、ワクチンについてはとくに、治療薬と違って健康な人に用いるものなので、安全性の桁が全然違います。いいものを短期間で作るのはかなり困難で、誰が優先的に治療を受けることができるかという問題とともに、今後はそのあたりが問題になってくるだろうと思います。」

――『感染症社会』では、今後は、社会距離を取らない生き方の流儀もまた私たちは発明して行かなければならないと提言されています。

「施設の中に同じような症状の人をたくさん住まわせておくやり方は、効率はいいかもしれないですが、今回のような状況でクラスター感染が発生すると被害も大きいわけです。他方で、個別の訪問看護や訪問介護の人たちが個人防護衣さえあれば対処できるかというと、またそれも違う気がします。日本は、実態としてできない中でもなんとかしようという発想で現場がリスクを引き受けて努力しています。戦時中の滅私奉公のようにならないためには、不満を言語化し、怒りを表明し、抗議することで社会を変える必要があります。エッセンシャルワークをになっている労働者に光がはっきり当たったのは、ある種のいい面だったともいえますが。」

――次に、『未完のオリンピック』(かもがわ出版、2020年)の方で扱われたテーマについて教えてください。

「ドーピングはフェアではないというのがスポーツ倫理の基本ですが、ではどこまでがフェアでどこまでがフェアではないのかという境界設定の問い直しがあります。さらに、障害やジェンダーの問題がドーピングと地続きになっているのが現在の状況です。たとえば、ドーピングでよく使われる薬物にステロイドホルモンが挙げられます。が、これは筋肉増強作用だけでなく、男性ホルモンとして性差を生み出します。問題になったのは、あるアスリートが自分は女性と考え、女性として育ってきたにもかかわらず、生まれつき男性ホルモンが多かったために、競技の女性枠での出場を禁じられる場合があったことです。そして「女性アスリート」と認められる条件として、男性ホルモンを下げる治療が課せられました。これは、こんにちのダイバーシティの考え方からすれば、人権の重要な側面であるジェンダーの多様性を否定し、男性ホルモンの数値で男女を決めるという乱暴で視野の狭いことになります。」

「エンハンスメントというとSF的なスーパーマンを作るといった話がイメージされがちですが、遺伝的バリエーションの中でもエンハンスメントと同じ効果を生み出す場合があります。今後、「正常」とは何かといった点が深く問われていくでしょう。」

「義足についても同じような論争があります。健康な人の記録を塗り替えないうちは問題にされませんでした。けれども、健康な人の記録を破ることの出来る義足で、パラリンピックではなくオリンピックへ出場しようとすると問題になるわけです。それが更にスポーツではなく記憶力だったらどうなるのか。スポーツなら、フェアでなければならないというルールがありますが、記憶力にはそういうルールがないですからね」

――記憶力といえば、2000年代初頭の米国でリタリンの過剰処方が問題になっていました。

「覚せい剤と似た作用なので、直接記憶力では無いですが。。。この問題では、日米での義務教育の考え方の違いも大きかったですね。学校側は、治療を受けていない子どもをお預かりすることはできませんと拒否することができます。そして、親が治療に協力しない、さらにそれで学校に行けない、ということだと虐待(ネグレクト)になるわけです。処方薬の濫用という面では、米国ではいま麻薬性鎮痛剤のオピオイドの過剰処方とそれによる健康被害が大問題になっています。日本もこれから増えてくるかも知れません。」

――『感染症社会』のあとがきで少しだけ触れておられましたが、次に興味を持たれているテーマについて教えてください。

「かつて植物状態と言われていた遷延性意識障害の人というのは、単に手と足と口が動かないだけで、実際のところは認識能力を持っていて、fMRIなどで脳活動を撮影すると、問いかけに答えることができる場合すらあるということがはっきりしてきました。日本語では、たとえば、エイドリアン・オーウェン『生存する意識』(みすず書房、2018年)などで明らかにされています。この新事実をめぐる生命倫理的な課題、それが安楽死論にもたらすインパクト、生命科学技術、神経科学技術が人間観に与える影響とニューロエシックス課題など、そのあたりを広げて研究していくことを考えています。」

2020716日訪問 情報委員会 加藤太喜子)

この「研究室訪問」というコーナーでは、本学会会員の皆様が所属する研究室・研究センターを本学会情報委員会のメンバーが訪問し、研究室・研究センターの紹介に加え、どのような研究に携わっていらっしゃるのか、これからどのような研究が必要か、といったことについて、ざっくばらんにお話を伺います。学際的で多様な分野の研究者の方々にお話を伺うことで、皆様の研究活動にプラスになれば幸いです。伺った内容は、何枚かの写真とともに情報委員会のメンバーが執筆した記事として本コーナーで紹介いたします。