本書は、医療と哲学の問題を「人間観」を基軸として考察することを目的とする。医療は人間にかかわるものである。この「人間観」、つまり人間存在のあり方の認識を踏まえなければ、医療者は患者を単なる対象として扱うことになりかねない。しかし、ひとくちに人間観が重要であるといっても、人間存在のどのような要素をどのような観点から考察したらいいかは難しい課題である。
第一部(第一章〜第二章)を「哲学における人間観」とし、近代ドイツの哲学者イマヌエル・カントの人間観の変遷と特徴を示す。カントは、哲学の問いは究極的には「人間とは何か」という問いに行き着くと言う。カントは生涯にわたりこの問題に取り組み、紆余曲折を経ながら、思想の成熟を果たした。カントがどのような考察を展開しているかをたどることは、「人間とは何か」という問題を私たちが考えるうえでも大いに参考になるはずである。
第二部(第三章〜第六章)は、「生命倫理学における人間観」とし、アメリカ型の自律を上位に置く考え方と、欧州連合バルセロナ宣言(一九九八年)の「脆弱性」を強調する考え方を比較検討すると同時に、後者の視点を踏まえて、終末期医療、及び生殖補助医療の問題に取り組む。現代の生命倫理学はどのような人間観を標榜して創始されたのだろうか、そこにはどのような特徴があるのか、その自由を強調する人間観が医療の現場にどのような影響を与えているのか、また、その自由な存在としての人間観には限界はないのかということについて考察する。そして、人間を依存存在として捉える、新たな生命倫理学の人間観の下に、終末期医療、及び生殖補助医療の問題をどのように捉え直すことができるだろうかを問う。
第三部(第七章〜第九章)を「高齢者の生きる社会」とし、家族などを喪失し、弱者に位置づけられる高齢者を支える社会のあり方を、インタビュー調査も踏まえ哲学的に考察する。高齢期は、退職、配偶者の死、慢性疾患、家族の介護など、人生の終わりに向かう過程でさまざまな困難に遭遇する時期である。そこでまず、患者を喪失した家族などに対するグリーフケアについて考察する。それは死別などの困難を経験した者の自己の内面の葛藤のプロセスであるだけではなく、周囲の者の関わりのあり方が問われる問題である。ドイツの二人の現象学の哲学者、マックス・シェーラーとエディット・シュタインによる「個人の問題」と「共同体のあり方」についての分析をたどる。また、共同体の意義を強調する哲学者チャールズ・テイラー、アリストテレス派のひとりであるマーサ・ヌスバウム、シュタインの見解が果たして実際の独居高齢者の現状に添うものであるかを確かめるために、独居高齢者を対象に行なわれたインタビュー調査での独居高齢者の語りを、哲学・倫理学的観点から分析する。
本書は、いのちの問題を人間観を軸に誕生、老い、死へと網羅的にまとめている。教育の参考にしていただけたら幸いである。また、本書が扱うテーマは、コロナウイルス感染症拡大における、不確実な人間の態度決定において起こりがちなスティグマ、排除、共同体の問題と重なり合う点が多い。この点も参考にしていただければ幸いである。
船木祝(札幌医科大学)