新型コロナウイルス感染症をめぐる生命倫理と法

早稲田大学・教授 甲斐克則

人類史は感染症との闘いの歴史でもある、といわれる。古代からある天然痘、中世のペスト(ヨーロッパ人口の3分の1が死亡)、近世の結核、近代(1918年)のスペイン風邪(世界中で5億人以上が感染、死者約4,000万人)、そして現代のSARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)、エボラ出血熱等々。これに加えて、いま世界中の人類が直面している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、人類史上に残る猛威を振るっており、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号に端を発する国内感染者は16,804名、死亡者886名、世界の感染者は6,054,187名、死者368,711名(2020530日現在)である。それは、現代文明のあり方を根本から変えるほどの威力を有しており、生命倫理および医事法の観点からみても、看過できない大きな諸問題を投げかけている。

「生物ではなく限りなく物質に近い存在」であり、「生物と無生物とのあいだをたゆたう何者かである」ウイルスだが、「単独では何もできない」にもかかわらず、「自己複製能力を持つ」がゆえに(福岡伸一『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書・200736-37頁)、「高度に文明化されたグローバリゼーションの時代」において、それを嘲笑うかのごとく人の移動に乗じて、いとも簡単に感染症を世界中に拡散し、人類を恐怖に陥れうることを、新型コロナウイルスは、まざまざと見せつけてくれている。風水害や大震災でも、人類は様々な困難に直面してきたが(甲斐克則「大震災と人権問題」同著『〈講演録〉医事法学へのまなざし―生命倫理とのコラボレーション』(信山社・2018年)31頁以下参照)、今回のウイルス感染症は、それとは異なる様々な問題点をわれわれに突き付けている。

 第1に、感染力の特異性がある。濃厚接触以外でも感染してしまうのである。これにより、対人関係で身体的に距離をとる「ソーシャル・ディスタンディング」ないし「ソーシャル・ディスタンス」という用語、その後、「フィディカル・ディスタンス」という用語も使われ始めた。第2に、疾患の特異性がある。味覚・嗅覚障害、高熱の持続、だるさ、咳、呼吸困難、関節痛等、多様な症状が出る。第3に、検査の特異性がある。とりわけPCR検査のジレンマである(後述)。第4に、治療法の難しさがある。軽症者は初期のころ自宅療養で、後にホテル療養と併用になったが、容体急変者に対して十分な対応ができなかった。中等症者は入院可能であるが、病床数の関係で一般病院に入院することを余儀なくされ、そこでは人的・物的限界から院内感染のリスクにさらされることもある。重症者は、専門病院に入院することが多いが、その保証はない。入院後、ICUで人工呼吸器や人工心肺器(ECMO)で治療を受けることが多い。しかし、その数に限界があるし、人的・物的な限界もある。第5に、患者の死に際して、直接的な遺族面会さえ困難である。

新型コロナウイルス感染症は、収束の見通しが立たない中、日本の生命倫理および医事法の課題も大きく浮かび上がらせた。以下、両者のコラボレーションの観点から、4点を指摘したい。

1に、救急医療体制の限界である。日本の医療は高度である、といわれながらも、一次救急、二次救急、そして三次救急の病院のうち、重症者を受け入れる三次救急の体制が物的にも人的にも弱いことが明らかになった。そのしわ寄せが、二次救急、一次救急、そして院内感染等を通じて、通常の病院やクリニックにも影響した。患者の安全確保のほかに、医療職者の確保と医療安全についても、トリアージの問題も、改めてクローズアップされた。地域の救急医療体制の再構築はいかにあるべきか、について腰を据えて検討すべきである。

他方で、それにもかかわらず、世界レベルでみると、他国に比べると死者数が少ない点は、諸外国から「ミラクル」、「ミステリー」と言われている。そこには、国民皆保険制度の存在、手洗いやマスク着用といった公衆衛生観念の普及、クラスター対策、BCG予防接種(?)等の存在が指摘され、さらには「ファクターX」(山中伸弥教授)の存在も指摘されているが、医療職者の底力を看過してはならないであろう。医療崩壊をぎりぎりで食い止めているその底力には、派手さはないが、日本の生命倫理(学)ないし医療倫理が30年余りの間に着実に培ってきた「何か」が潜在しているようにも思われる。もちろん、自粛要請に対する国民の忍耐力も挙げられる。この点については、「世間」という「同調圧力」という視点から説明する見解もあるが、それだけではなかろう。この際、問題点と同時に、「底力となった何か」を生命倫理の観点から探求することも課題ではなかろうか。

2に、PCR検査のあり方や保健所の限界も指摘されてきた。誰を優先的に検査すべきかは、前述の病院体制・救急医療体制にも関わる。保健所は、これまで人的・物的に削減対象であったため、今回のウイルス感染症対策では、その献身的な努力にもかかわらず、PCR検査実施不足が指摘され、その限界が露呈した。これは、非常時の混乱を想定できていなっかった国の制度設計の対応不足であり、医事法の課題である。

3に、ワクチン・新薬の開発と臨床試験の問題も浮かび上がった。既存の薬剤を治療薬に目的外使用すべく、あるいはワクチンの開発をめざして、いくつかの治験がなされているが、医薬品の臨床試験のあり方についても、生命倫理および医事法のコラボレーションの観点から、もっと深く日常的に検討し続ける必要がある。

第4に、経済との関係である。従来、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症予防法:1998年(平成10年))が感染症に対応してきており、6条に感染症が列記されているが、経済活動の規制も加わるため、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(特措法・2020年(令和2年))が制定された。日本では、都市封鎖をせずに、同法の下で「自粛要請」により、何とか急場を凌いだが、罰則付きの強力な都市封鎖(ロックダウン)により対応した国も多い。いずれにせよ、人々の行動を大きく制約する。生命保護を優先しつつ、生活の保護を図るべく経済活動をどのように認めるべきか、という難題が世界中に突き付けられている。少なくとも、経済最優先の見直し、すなわち、働き方を含め、現代社会の生活様式の根本的な見直しが、人類に突き付けられているといえよう。その中で生命倫理が果たすべき役割は何か。何ができるのか。われわれは、重い課題に直面している。

 

[付記]この文章は元々、『生命倫理』第31号の巻頭言のために執筆したものであるが、思いのほか長くなったため、編集委員長と相談のうえ、全文は本学会ウェブサイトに掲載することとして、短く書き直したものを「新型コロナウイルス感染症をめぐる生命倫理と医事法」と題して、別途『生命倫理』第31号の巻頭言とすることにした。