本書は、今までバイオエシックスの分野ではドラマチックな倫理が焦点となり、あまり注目されてこなかった日常倫理(everyday ethics)という視点から、認知症ケアの現場で起きている課題を捉えなおすことを目的としています。認知症当事者のさまざまな生活・療養の場における看護職らのリアルな実践事例と、当事者・家族介護者らの生の語りを収載し、日常倫理に関する着眼点や思考のプロセスを言語化し、新しいケアのアプローチを考える糸口になれば幸いです。

詳細:

 本書は、認知症当事者が、認知症だからといって何かを強いられない、過度に観察対象とされない、安心して生活し、自由が守られ、痛みや苦しみが緩和され、その人固有の習慣や儀式が大切に扱われ、社会とのかかわりを持ち続けられる、そのような社会の実現への糸口を目指しています。
今までバイオエシックスの分野ではドラマチックな倫理が焦点となり、あまり注目されてこなかった日常倫理(everyday ethics)に焦点をあてました。日常倫理(everyday ethics)とは、欧米のナーシングホーム等での実践から、その日常の看護実践やルーチン業務にこそ倫理的課題が含まれていると問題提起されてきた概念です。
本書では、実践事例を通して、認知症と共に生きる人の視点やその日常生活に主眼をおいて、日常にひそむ倫理を明らかにしようと試みました。認知症当事者の日常として、食、排泄、入浴、施設でのアクティビティ、日常の行動、生活の楽しみ、生活習慣、生活する場所、仕事、最期の場所などを取り上げています。加えて当事者の声(VOICE)として11のコラムを織り込んでいます。日々の生活の中にある倫理的課題を意識し、考え、新しいケアを創りだす糸口になれば幸いです。

出版社URL 『認知症ケアと日常倫理』

https://www.jnapc.co.jp/products/detail/4127

目次

第1章 なぜ日常倫理(everyday ethics)に注目するのか
1-1 本書で使用する「日常倫理」(everyday ethics)という言葉について
1-2 「日常倫理」の定義からの考察
1-3 バイオエシックス(生命倫理)の議論から見た日常倫理
1-4 長期ケアの場と日常倫理
1-5 認知症ケアと日常倫理の関係性
1-6 プロフェッショナリズムと日常倫理
1-7 本書の構成と特徴、活用方法

第2章 認知症当事者の日常生活から倫理を考える
2-1 本人の持つ力が過小評価されていないか
事例1 家に帰って私が食べさせれば食べられるはず
――口から食べられないのは、認知症の進行によるものと見なしてよいのか
事例2 職場に行こうとしたら、上司に「来なくていい」と言われた
――若年性認知症当事者は、就労の継続ができないのか
事例3 今までどおり、なじみの居酒屋に行きたい
――本人の楽しみより安全性を重視すべきなのか
【Voice】
介護って、価値観の転換を強いられるんです
本人が困っていないのなら、最低限のサービスでいい

2-2 本人の意思決定能力が過小評価されていないか
事例4 夫もあの診療所には通いたくないと言っていました
――重度認知症高齢者は、自分の退院後の方針を話し合う場に参加できないのか
事例5 ご飯が食べられなくなるなら、手術をしなきゃね
――認知症と診断された人の意思はどう扱われるべきか
事例6 何でそんなこと言うねん。私は入院なんかしたくない、家がええ
――家族介護の限界、本人の最期の願いをどうかなえるか
【Voice】
自分1人では生活できないですよ。家内に頑張ってもらっているから、僕は助かっているようなもんで
結婚して50年以上経ちますけど、全然手のかからない主人だったんです
2-3 日常生活で自由が制限されたり、過度に観察されたりしていないか
事例7 携帯電話はどこかな……これは持っておかないと
――歩けるのに、転倒などのおそれから歩行を制限してよいのか
事例8 こんな入浴介助を受けてみたい
――認知症高齢者の入浴拒否は「仕方がない」ことなのか
事例9 恥ずかしいから嫌だ
――暴言・暴力の背景 が見過ごされていないか
事例10 嫌です、どうしたらいいの?
――認知症高齢者へのアクティビティの提供は何のためか
事例11 認知症があるから、説明してもわからないでしょう
――せん妄は、認知症の進行によるものととらえてよいのか
事例12 リハビリにもなるし、歌が好きだからいいんじゃない?
――集団レク(研究)をリハビリと混同している認知症高齢者に、研究を継続してよいのか
【Voice】
頑張っていればなんとかなるだろうって、毎日一所懸命、頑張っている
もし私が入院でもしたら、どうするのだろう?

2-4 本人にとっての大切なことや生活習慣が軽視されていないか
事例13 もうこれ以上、身体を痛めたりすることはしたくないし、入院も勘弁してほしい。透析なんて嫌だ
――認知症高齢者は、病気の悪化に伴い、1人暮らしを継続できないのか
事例14 自分たちの好きにしたいのよ
――「認認介護」の限界、夫婦の生活のペースをどう守るのか
【Voice】
人の面倒を見る前に、自分の母の面倒を見られないでどうするのか
家で看取るってことの意味がだんだんとわかり、腹が据わってきました

2-5 本人のニーズが見過ごされていないか
事例15 どこも痛くない
――認知症ゆえに痛みを忘れていると判断してよいのか
事例16 キウイフルーツは完食なのに
――食べない理由は本人の側にあるのか、医療者側にあるのか
【Voice】
私の腕が杖代わりなんです
「私には3人以上いる。だからきっと大丈夫だ」と思ってやってきました

2-6 大事なことが、まわりの都合によって決められていないか
事例17 もうこれからは1人で暮らすのは無理よ
――本人が意思表明しているのに、家族の意向で退院先を決めてよいのか
事例18 自分が家で父を看られない以上、仕方ないです
――転院先の食支援体制によって栄養摂取の方法が決められてよいのか
【Voice】
これからの目標? 「あの世に一緒に行けたらいい」ってね

第3章 認知症ケアを通して浮かび上がる日常倫理
3-1 ヘルスケア関係者が認知症ケアでとらえた倫理的問い
3-2 認知症ケアの行われる場における倫理的問いの特徴
3-3 認知症当事者の日常を脅かすバリア
3-4 認知症ケアの新たなルーチン化?
3-5 気づきをいかに行動へとつなぐか
3-6 「したい」の自己と「すべき」の自己

鶴若 麻理(聖路加国際大学)