本書は、私もメンバーの一人である「医療社会学研究会」による研究成果を出版したものである。情報委員会から、書籍紹介の機会をいただいたので、社会学の知見が生命倫理学とどう関わるのかについて、日ごろ思っていることを書き留めておく。

 本学会には、生命倫理学という分野が領域横断的な性質を持っていることを反映して、さまざまな分野の会員が所属している。そして、本書は、(医療)社会学の書籍ではあるものの、生命倫理学を考える上で、重要なポイントが含まれている。

 生命倫理学では、基本的には、治療や臨床研究の場において、患者や被験者とされる人々が、医学的な事実やデータを正確に理解し、自分自身の考え方や価値観に基づいて判断できることを善として目指す場合が多い。そのとき、医学的なエビデンスが客観的に実在することは前提となってしまう。しかし、私が思うところ、医療系、とくに臨床系の会員には、おそらく常識なのだが、現実世界で行われている医療は千差万別である。しかも、最大公約数のような標準は決まっていても、生物学的・医学的な事実が異論の余地なく定まったものは実は少ない。臨床研究のベースとなる仮説となれば、さらにバラバラである。

 本書は、具体的な事例を挙げて、医学的事実とされるものが一枚岩ではないことを示し、コンテステーション(せめぎあい)に着目して分析することで、そこにあるさまざまな価値観を明らかにしようとするものだ。

 放射線内部被ばくをめぐる基準値は社会的にどう決められるのか、予防接種の後に起きたことの何が「副反応」と名付けられるのか、太っていることを「肥満症」という疾病にした根拠は何だったのか、殺人や自殺と異なる「医師幇助自殺」による安楽死はどのようにして正当化されてきたか、どういう状態が精神疾患として扱われるのか、スピリチュアルな健康とはどのようにして問題化してきたのか等、生命倫理学でも議論されるテーマが、本書では扱われている。そして、社会学という方法論のレンズを通すことで、同じテーマであっても違った見え方をすることが実感してもらえると思う。

 生命倫理学は、医療や臨床研究の分野に応用された倫理学という面だけにとどまらず、「諸学部の争い」を再演し、もっと思想や哲学の一分野として医学や生物学の中身にまで切り込んでみてもよいのではないだろうか。

美馬 達哉(立命館大学)