本書は、「人生の最終段階において無益な延命治療をおこなうべきではないとするような風潮」を「〈反延命〉主義」とし、それを批判的に解明することを目的とするものである。

 すでにネット上で、本書は「無益な延命」を擁護し、何が何でも「延命」することを主張し続けているという非難の書き込みが散見される。それは、本書が「延命主義」という立場に立っているという誤解である。「延命主義」なるものは実体としては存在しない。「無益な延命にこだわる患者や家族やマスコミ」というステレオタイプは、〈反延命〉主義の立場が作り上げた仮想敵に過ぎない。「反延命主義」と表記せず、「〈反延命〉主義」と表記することにこだわるのも、本書が「延命主義」の立場にあるという誤解を防ぐためである。

 本書は「批判」の書であるが、それは論敵を頭ごなしに非難して論破するという類いのものではない。「批判」とは、社会的に自明視されている主張の正当性・妥当性を、その根拠や背景を含めて多角的に検討することを意味する。とりわけ本書が力点を置いているのは、〈反延命〉主義がどのように展開・普及・浸透してきたのかを、日本国内のみならず海外の様々な事例に即して明らかにすることである。以下に、目次を示す。

はじめに…………小松美彦

第Ⅰ部 〈反延命〉主義の現在
序章 〈反延命〉主義とは何か…………堀江宗正
第1章 〈反延命〉主義の現在と根源――ドキュメンタリー番組《彼女は安楽死を選んだ》の批判的検討…………小松美彦
第2章 公立福生病院事件の闇…………高草木光一
第3章 安楽死・「無益な治療」論・臓器移植そして「家族に殺させる社会」…………児玉真美
第4章 多としてのトリアージ…………美馬達哉

【鼎談】分ける社会がもたらす命の選別――相模原事件、公立福生病院事件、ナチス安楽死計画
雨宮処凛×市野川容孝×木村英子

第Ⅱ部 〈反延命〉主義を問う
第5章 歪められた「生命維持治療」――医師としてACP・意思決定支援に思うこと…………川島孝一郎(聞き手・堀江宗正)
第6章 小児科医の問いと希望――共に在る者として、子どものいのちの代弁を考える――…………笹月桃子
第7章 文学で描かれてきた「よい死」――安楽死・尊厳死の拡大、浸透、定着のなかで…………原朱美
第8章 死ぬ権利を問いなおす──ヨーロッパの動向から…………市野川容孝

 この目次だけでもわかるように、本書は読者に国内外の幅広い素材を提供している。より詳細に列挙しよう。

 まず、医療倫理にかかわるトピックとしては、新型コロナウイルス感染症とトリアージ(日本の状況と西洋における概念史)、ACP・人生会議、コロナ禍におけるトリアージとACPとの混同、「命の選別」をめぐるアンケート調査の結果、延命拒否と希死念慮の相関性、公立福生病院透析中止事件、緩和ケア、「鎮静」(持続的で深い鎮静)、小児科医療における子どもの意思の代弁などがある。このトピックでは、現場の医師も寄稿している(第5章・第6章)。

 安楽死と医師幇助自殺をめぐる世界の状況としては、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、カナダが取り上げられている。関連して、NHK『彼女は安楽死を選んだ』の詳細な分析、安楽死後の臓器摘出がある。

 また、政治との関連では、〈反延命〉主義と「保守/リベラル」「右翼/左翼」との関係がいくつかの箇所で論じられている。複数箇所で、ナチス安楽死計画、ナチスのプロパガンダ映画『私は告発する』が取り上げられ、現在の状況との類似性が指摘される。

 〈反延命〉主義と関わるより広い社会問題としては、相模原障害者殺傷事件、障害者と家族へのインパクト、死刑問題との関連性がある。文学作品における〈反延命〉主義の問題としては、『恍惚の人』、『黄落』、『スクラップ・アンド・ビルド』が取り上げられている。

 このように本書は、我々がいつの間にか自明視している〈反延命〉主義が国内外でどのように展開してきたかを示す素材を豊富に盛り込んだものである。この問題に関心がある生命倫理学者は、どのような立場であれ、私たちの時代状況と自らの位置を確認するために、本書を読まずにはいられないだろう。

堀江宗正(東京大学)