本書は、「温室に並べられた鉢植え植物のようには生きたくない」と言っていた認知症のオランダ人女性のケースを取り上げる。2016年、老人介護施設で、後期認知症の女性を主治医が安楽死させ、これがオランダで2002年安楽死法施行後、初めて訴追される案件となった。女性は、介護施設に入るなら、安楽死してほしいという医師への「事前意思表示書」を書いていた。しかし、介護施設にはいらなければならないときには、自分ではもはや意思表示できなかった。医師は事前意思表示書に従った。腕に注射針を指したとき、患者は一瞬引っ込める素振りをしたりした。

 日本では、殺人罪や過失致死罪とは別に、刑法202条により、嘱託殺人や自殺幇助は禁止されている。オランダも、刑法293条で「要請に基づく生命終結の禁止」、294条で「自殺幇助の禁止」を謳っている。だからオランダでは、安楽死が「要請に基づく医師による患者の生命の終結である」と定義されるなら、安楽死は法律上犯罪である。しかし、1973年に起きた、苦痛のあまり死を望む母親にモルヒネを投与し致死させた女性医師の(ポストマ)裁判を契機に、30年にわたり議論が重ねられ、 通称安楽死法が成立した。これにより刑法293条に二項として、「第一項に記載されている犯罪は、新法第二条に記載されている「ケアの要件」を遵守し、当該医師が遺体埋葬法第7条二項に従って市の検死官に通知する場合、前項に定める行為は犯罪にならない」と追記された。その根拠は、正当防衛と同様に、刑法40条「不可抗力によってやむをえず犯罪を行ったものは、処罰されない」に基づく。つまり、医師が安楽死法の定める「ケアの要件」を満たして安楽死を実行した場合、違法性が阻却されるとしたのである。

 この届け出た案件を審査する機関が、安楽死法第三章で設置が義務付けられている安楽死審査委員会である。この委員会は医師が提出した書類を審査し、「ケアの要件」が満たされたかどうかについて裁定する。本件は「満たされていない」だった。委員会や、医療裁判所、検察は、指示書を「限定的」に解釈した。それに対し、地裁や、最高裁は、「拡大的」解釈をとり、「満たされている」、故に「無罪」と判決した。

 本書の構成は、「Iオランダ認知症患者安楽死裁判」として、審査委員会裁定、地方裁判所判決、検察庁上訴、最高裁判所判決をあと追い、事実確認する。「II認知症患者安楽死裁判の批判的考察――問題の所在と展開」として、「事前意思表示書か「いま」の意思か」の問題を、判決文、ドウオーキン、ドレッサー、クヴァンテなどの先行議論を元に考える。つぎに、ドイツ連邦憲法裁判所の「死ぬ権利」を認める判決(2020年)を取上げ、「ビジネスとしての安楽死」とその課題を考察する。さらに、フランスで起きた植物状態然患者から栄養チューブを抜き去り致死させたランベール事件(2019年)を取上げ、その過程で法制化された持続的な深いセデーション(CDS)としての「ソフトな安楽死」の問題を考察した。「III資料」として、「安楽死審査委員会裁定」、「ハーグ地方裁判所判決(抜粋)」、最高裁判所判決(抜粋)、世界の終末期の図表をあげた。
                                
                                   盛永 審一郎