護送船の同心である庄兵衛には「喜助の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそう」に思えると、鷗外は書いている。それはどうしてだろうか。「信仰の騎士」であるアブラハムではない、「われわれ」である喜助はどうすべきか。個人の内面を固く信じて「懊悩」と「不安」の道を歩まざるを得ないはずだ。それなのに、なぜ喜助は「楽しそう」なのか。それは、これまで助け合って生きてきた弟、嘉助の「晴れやかに、さも嬉しそうな目」と一になれたからであろう。
戸倉三郎裁判長は「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない。生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めるもので個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、憲法13条に違反する」と指摘した。
すなわち、憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重の二つの精神から構成されていて、①個人の尊厳(人間の尊厳)に反するとは、「特定の障害者の出生の防止」という法は、人格の自己決定権・自律権の侵害であるということ、②人格の尊重に反するとは、個人の生殖能力を侵害する法は、私生活の権利・プライバシー権の侵害に当たるという判決だった。
それでは「死ぬ権利」「死を選ぶ権利」は幸福追求権、「生の権利」の一つだろうか? それが第一の問題である。
しかし仮にそうだとしても、自律権とは消極的権利、自動詞的権利である。したがって、自死する権利があるとしても、他者が私の自死に手を貸す義務はないということになる。ということはもし手を貸せば、この場合他者の行為は殺人罪(刑法199条)か自殺幇助罪(刑法202条)に該当することとなる。それではオランダをはじめとして安楽死法を立法した国々はどのように考えて、他者の自死に手を貸した場合も殺人罪や自殺幇助罪に問われないとしたのだろうか。この論理の構築が第二の問題となる。以上の二つの問題を考えていきたいと思う。
目次
はじめに
Ⅰ章 オランダ安楽死の論理
1 嘉助には「死ぬ権利」、「死を選ぶ権利」があるのか?
2 嘉助を苦痛から解放する喜助の行為は、嘉助が致死するとしたら罰せられるのか?
3 「滑り坂論証」と安楽死反対論
Ⅱ章 安楽死法アトラス
1 安楽死のモデル
2 人生終焉法への拡大?
3 「事前指示書」か、「いま」の意思か―オデュッセウスの命令
Ⅲ章 資料編 世界の終末期医療の最新データ 2024.12.01
1 ベネルクス3国の比較
2 安楽死法を持つ各国の状況
①オランダ②アメリカ③カナダ④オーストラリア⑤スペイン⑥ニュージーランド⑦スイス⑧ドイツ⑨オーストリア⑩フランス⑪イギリス⑫尊厳死に関する法的規制等
3 世界の安楽死法の比較表
おわりに
情報提供: 盛永審一郎(公立小松大学)