受賞者の報告

2019年10月24日から27日にかけて、アメリカのペンシルヴェニア州ピッツバーグのデイヴィッド・ローレンス会議場にて、第21回ASBH(American Society for Bioethics and Humanities)年次大会が開催された。

今年の大会テーマは「記憶と回復:いかにしては我々は生命倫理と人文学によって前進し得るか」(Remembrance and Resilience: How Bioethics and Humanities Can Move Us Forward)である。会期中には3回の総会が開かれたほか、400を超えるパネルやワークショップ。個人発表、フラッシュ・セッションや、37の関連ミーティングが行われた。セッションは、「芸術・文学」「臨床倫理」「多様性・格差・統合」「教育・対人関係技術」「法・公衆衛生政策・組織倫理学」「歴史・哲学」「宗教・文化・社会科学」「研究倫理」と多岐に分かれている。

生命倫理に関する研究会や学術大会の特色として、日本生命倫理学会ももちろん同様であるが、筆者が通常参加・発表する人文系のそれらに比べて大学・学術機関の研究者だけでなく医療現場の実践者や医療産業で働く者も多数参加していることが挙げられる。

筆者は、仏教学の領域の特に仏教倫理という宗教的な倫理観を研究しているため、本大会では、「宗教・文化・社会科学」のセッションを中心として拝聴した。25日の「NICUs(新生児集中治療部)・看護師・新生児」のセッションでは、エマ・リフォードが、ミラクル・ベビー(重度の障害などをもちながらも奇跡的に出生できた新生児)に関する200以上のニュース記事を分析しながら、それらの新生児の誕生物語において、新生児病棟で働く看護師がいかにスピリチュアルな意味で重要な役割を担っているかについて論じた。次に、クリスティ・カミングスは、新生児の死亡によるストレスとトラウマを体験する親がNICUに対して子の亡骸の灰をダイアモンドに加工したいという要求に応える事例を示した。「灰は灰に」とはキリスト教の葬儀で唱えられる一文であり、神によって土から創造された人間がもといた場所へ還ることを意味する。しかし、亡き子の灰のダイアモンド化は親の精神的回復を目的とした、宗教的な由来の現代的解釈の一事例として、さらに研究するべき価値をもつことが強調された。

筆者が参加したのは、第3日目にあたる10月26日の「パストラル・ケア」のセッションである。筆者は「現代日本における仏教者による自殺防止活動」(Buddhist Responses to Suicide Prevention in Contemporary Japan)というど題目で発表し、日本の深刻な社会問題の一つである自殺に対する防止活動に従事する仏教僧に焦点を当てた。東南アジアや日本以外の東アジア諸国においては仏教僧は戒律を守り僧院で暮らしているため、世俗と明確に区別された存在であり宗教的なプロフェッショナルとして認識されている。その一方で、日本の僧侶は妻帯し戒律を守らないといういわゆる世俗的な存在である。しかし彼らは、その立場を活用して、日本社会で苦しむ自殺念慮者に対して宗教色をなるべく強調せず親しみのある態度で接することができることも事実である。本発表では、自殺防止活動に取り組む日本人僧侶3名の活動の参与観察および彼らへのインタビュー調査を紹介し、どのように彼らのサポートが現代日本人のニーズと適応しているかを論じた。

同セッションのその他の発表として、ネイサン・カーリンは、彼の最新著書を概略して、西洋におけるキリスト教神学の倫理観に多大な影響を与えたパウル・ティリッヒの「相関の方法」(method of correlation)に基づくパストラル・ケアの四つの原理を打ち出した。それらは宗教者が患者を回復へと導ための様々な希望を例示した。また、パオラ・ニコラスは体外受精へのパストラル・ケアに関して、20名のカトリック神父へのインタビュー調査を通して彼らのもつ道徳的疑問や苦悩を明らかにした。
本セッションの全体的な印象として、医療現場に従事する宗教者の属する宗教的教理の文献的根拠を示しつつ、インタビュー調査に基づく臨床的立場を尊重した発表が行われたという点がある。論拠と実践との間にはかい離がつきものであるが、なるべく両者を近づけるべく両者は手に手を取って歩んでいく必要があることを痛感させられた。ASBHに参加したことは、非常に意義深い体験であった。

次回の2020年のASBHは、10月15日から18日の間メリーランド州のボルチモアでの開催が予定されている。