受賞者の報告

去る2018 年12月3 〜7日、本学会の国際交流助成金による「2018 年度 IAB 大会参加助成金」の支援を頂き、インド、バンガロール市 *で開催された14th World Congress ofBioethics(第 14 回世界生命倫理学会、以下WAB)に参加した。WAB は InternationalAssociation of Bioethics( 国 際 生 命 倫理学会、以下 IAB)と、その関連組織である International Network on FeministApproaches to Bioethics(国際フェミニストアプローチ生命倫理ネットワーク、以下 FAB)からなる国際会議である。12月3~4日にIABのプレ・コングレスが、続く5~7日に本会議が実施された。FABは 3~5日にかけてプレ・コングレスと本会議を跨ぐ形で開催され、最終日には、本会議とのジョイント・セッションも設けられた。

FABにおける発表

筆者は12月3日に FAB の代理出産に関するセッションで口頭発表を行った。FAB の口頭発表は、30 分の Premier paper(主要論文)と15 分の Concise paper(簡約論文)の 2 種類に分けられ、筆者の報告は主要論文として採択された。主要論文は 20 分の口頭発表ののち10 分の質疑応答を行う。筆者は”Revenantsurrogacy practice from the Dark Ages,now preying on Caucasian women: AJapanese perspective on surrogacypractice”という報告タイトルのもと、日本人による白人女性を代理母や卵子の供給者とした生殖ツーリズムの事例をもとに、日本における代理出産に対する認識枠組みを説明した。
本報告の論点は、日本の事例紹介には留まらず、日本で生じた文化的変化を通じて、これまで代理出産に対する議論の支柱となってきた、英米の特定の議論を批判することにある。実は筆者はかつて欧州で開催された別の国際学会において、米国人研究者とインド人研究者が代理出産の是非を巡り、激しい議論を交わしていた現場に遭遇した経験を持つ。それゆえ筆者の挑発的な論考に対しては、英米圏の研究者を中心に、きわめて厳しい批判が寄せられると覚悟していた。しかし報告を終えた後の会場の空気は、当初の予想と全く異なっていた。インド国内の参加者が大半を占め、かつ人体取引の場であるインド国内という、学会の<場>が影響したのか、欧米人参加者が戸惑った様子で押し黙る一方、インド国内の参加者から、多くの生産的な質問を頂く結果となった。また報告が終わった後には、個人的に好意的な感想を述べて下さったインド人参加者もいらした。それら現地の人々の反応は、普段は一方的に「周辺」に位置付けられ、欧米中心の議論に声を出せずにいる人々の、リアルな感情が現れたものに思われた。

生命倫理学の捉え直し

インドの作り出す文化的な「磁場」は、学会のメインテーマである、“Health For All”にも表れていた。本学会の企画シンポジウムは、人々の身体や生命の扱いに、人種、民族、身分、性別といったあらゆる差別が組み込まれている現実を出発点として、「生命倫理学」を医療現場に閉じることなく、より包括的な学術領域として捉え直すものであった。例えばポター流の Bioethicsに立ち返り、環境問題から福祉政策を読み解くセッションや、セクシュアル・マイノリティの直面する健康問題に対するセッションなど、日本の一般的な生命倫理学では周辺化されがちなトピックが、大会企画の重要課題として取り上げられていた。

中でも印象的だったのが、大会二日目の企画セッション“Health for All: Implications ofGender and Sexuality for Bioethics”における、カナダ人研究者 Francoise Baylis 氏の報告“A women’s eye view”である。本大会の直前に報告された中国の遺伝子編集ベビーの問題も含め、様々な生殖技術が開発・応用されつつある現状に対し、Baylis 氏は「妊娠中の女性を巻き込む臨床研究において、誰が研究課題を決めるのか、それは誰の利益にかなうのか、誰が危険を被るのか、誰の意見が届いているのか」と問うた。その報告内容は、生殖技術を切り口としながらも、現在の生命倫理学の全体が抱える構造的問題――生命倫理学が特定の人々の利益や思想を再生産させるための装置となりつつ現状―を浮き彫りにするものであった。

これら大会企画セッションには、ともすれば「中心」による知の再生産になりがちな現状への抵抗として、「周辺」に位置付けられた人々の視点を組み込んだ、新たな「生命倫理学」を描き出す意図が込められていたように思われる。グローバル化の進む社会において、「中心」が音頭を取る知の在り方は、制度疲労を起こしているのかもしれない。生命倫理学が提唱されて半世紀に近づこうとする現在、そろそろこの学問も、本来は何を志向するもので、如何なる営みが望まれるのか、過去に築き上げられた知が内包する構造的歪みへの自己批判も行いながら、改めて捉え直す時期に来ていることを認識させられた。

助成金について

今回支給された助成金は、交通費と宿泊費のみならず、国際学会参加に伴う諸費用も支払われる形式であった。本大会はインドの地方都市で開催されたことから、必要経費は少なくて済むように思われがちだが、発展途上国、なおかつ女性に対する暴力がしばしば報じられる地域であることを考慮すると、安全を確保するには、欧米圏とは別の経費が必要となる。筆者は頂いた助成金による十分な費用のもと、安全な環境で過ごす手配を整えることで、渡航に伴う不安を払拭できた。そして実際に滞在中は何一つ不快な経験をせず、学会に集中することができた。

また必要経費に学会参加費が含まれるのも有難いことであった。医療系の人々も参加するIABや FAB の参加費用は、筆者が普段参加する、人文社会系の国際学会とは比較にならないほど高額である。今回は発展途上国の開催であるためか 6 万円程度に留まったが、2016 年にエディンバラで開催された際は、IAB 参加だけで10万円を超してしまうため、本来であれば参加を希望していた FAB への参加を見送った経緯がある。人文系の研究者は、概して手持ちの研究費が少なく、若手の研究者であれば、仮に助成金が得られなければ、採択された報告を取り下げる措置を取らざるを得ない場合もあろう。国際生命倫理学会への参加がこれほど重い経済的負担を伴う現状で、今回の助成金が創設されたことは、今後の日本の生命倫理学が、人文系を含むより多様な領域の研究者を育成する上で、大きな価値を持つものになると考えている。

最後に、本稿を締めくくるにあたり、今回の制度を創設し、筆者を受給者第一号として採択して下さった関係者の方々に厚くお礼を申し上げたい。インドにおける学会報告は、代理出産の問題を扱う筆者にとって特別な機会になると予想してはいたが、思いがけず助成金を頂き、経済的・心理的余裕を得られたことから、現地の研究者との交流をはじめ、様々な活動への参加が可能となり、結果的には当初の期待をはるかに超える、極めて有意義な時間を過ごすことができた。助成して下さった学会の期待に応えられるよう、今後はこの経験から得られた知見をもとに、自らの研究の深化はもとより、今後のさらなる国際化の充実など、生命倫理学のより一層の発展に貢献していきたいと思っている。

*「バンガロール市(Bangalore)」の名称は、2014 年に州政府の決定のもと、正式には「ベンガルール市(Bengaluru)」に変更されている。本学会も公式には新名称を使用しているが、本稿では便宜的に、インド国内外で今も広く使われている「バンガロール市」の名称を用いる。